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津軽のりんご事情を動かし始めた、小さな工房の物語。[弘前シードル工房 kimori/青森県弘前市]by ONESTORY

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津軽のりんご事情を動かし始めた、小さな工房の物語。[弘前シードル工房 kimori/青森県弘前市]by ONESTORY
「日本に眠る愉しみをもっと。」をコンセプトに47都道府県に潜む「ONE=1ヵ所」の 「ジャパン クリエイティヴ」を特集するメディア「ONESTORY」から青森県弘前市の「弘前シードル工房 kimori」を紹介します。

りんご畑に囲まれた三角屋根の小屋から、そのシードルは生まれる。

泣く子も黙るりんごの名産地、青森県・津軽地方。生産量は実に全国の約6割を占め、郊外には広大なりんご畑が。時期ともなれば、青果店の店頭は宝石のように輝くりんごで埋め尽くされます。そんな津軽のりんご文化を満喫すべく観光客が向かうのが、弘前市内にの「りんご公園」。りんご畑に囲まれたその公園の一角に、目指す「弘前シードル工房kimori」があります。
工房の建物は、弘前市出身の若手建築家・蟻塚学氏が設計。春から夏は、緑の中に浮かび上がる白い三角屋根が目印だ。
「kimori」が誕生したのは、2014年のこと。現在全国に増えているマイクロシードルブリュワリーの、ちょうど先駆けのように誕生した「kimori」のシードルは、りんごそのものの風味を活かしたフレッシュな味わいで、一躍注目の的となりました。生産量は決して多くないものの、今や都内のレストランやバーでもひっぱりだこ。そして、すっかり弘前の人気スポットとなったのがこの工房なのです。
「りんご作りは人作り。津軽には昔から、新参者でも技術を得られる風土がありました」。壁のモノクロ写真を前に、話が止まらない高橋氏。
建物の設計は弘前出身の若手建築家が担当。三角屋根のかわいらしい雰囲気ですが、ふと壁を見ると、何やら古めかしいモノクロの人物写真が飾られています。
「写真の2人は、りんご産業の礎を築いた菊池楯衛と外崎嘉七です」と教えてくれたのは、「kimori」の代表を務める高橋哲史氏。「りんごは本来、乾燥地を好む作物。雨も雪も降る津軽の気候はりんご栽培に向くとはいえない。でも明治初期に菊池さんが色々な西洋果樹を植樹して、たまたま生き残ったのがりんごでした。そしてこれが、津軽のりんご栽培を象徴する光景です」。氏がそういって指し示したのは、りんごの樹を剪定するひとりの男性と、それを取り囲む人々のモノクロ写真。「気候のハンデを技術でカバーしなければならない。その時彼らがやったのは、こうして剪定を公開、指導して、人の教育をすることでした。彼らが決して富を独占せず、人作りを頑張ったからこそ、今の津軽があるんです」。
りんごの剪定会の古い写真。冬の剪定作業は、春夏の樹形を頭の中で計算しながら行われる、りんご栽培でもっとも重要視される工程。

「りんごなんて」と思っていた農家の息子が、りんごにハマった理由。

シードルの話を聞きに来たのに高橋氏が話すのはりんご栽培のことばかり。その訳は、彼の出自にあります。高橋さんは幕末から代々続くりんご農家の息子。しかし「若い頃は映像の仕事がしたくて東京で進学し、そのまま就職。家業に責任感もなく、りんごが送られてくれば食べ切れず捨てていました」と高橋氏。その後、母親の病気をきっかけに帰省しますが、「ガンで、余命半年と宣告されて。でも母は痛みに耐えながら、ずっとりんごの樹を心配している。それが理解できませんでした」。
工房内の貯蔵庫は、自社畑や近隣農家から届いたりんごの香りでいっぱい。色やサイズにより規格外となったりんごでシードルを造る。
母親を安心させたい一心で家業を継ぐことを決めた高橋氏でしたが、当初は後悔ばかり。「分かったつもりだったりんごの剪定も大失敗。芽が伸びすぎたり、枝が死んでしまったり、もうめちゃくちゃ」。転機は5年後、多くのりんごの木の中で1本だけ、「これはいいぞ」と思える剪定ができた冬。「そうすると毎日その木が気になって仕方なくて。そこで、ようやく母の気持ちが分かったんです。りんごの木にも『こうして切ってほしい』と意思があって、それと向き合わなくちゃいけない。ガチャリとスイッチが入った瞬間でした」。
この日は果汁の圧搾作業中。奥には醸造タンクが並ぶ。こうした仕込みの風景は、ガラス越しに見学可能だ。
やっとりんご栽培のおもしろさに開眼した高橋氏。が、すぐに日本の農業が抱える問題に直面します。当時の津軽のりんご農家のうち、後継者がいるのが2割、後継者を探しているのが3割、後継者探しをあきらめ、自分の代でやめる農家が5割で、平均年齢は60歳くらい。「ほどなく津軽のりんご産業が廃れていくと焦りました。それに合コンでも、りんご農家だと自己紹介するとすっと引かれる(笑)。こんなにすごい職業なのに、後継者はいないし地位も低い。状況を変えるには、まずはみんなにりんご畑へ来てもらうべきだと考えました」。ようやく、ここでシードルの話が登場することになります。
現在の商品ラインナップは、定番の「ドライ」と「スイート」、秋限定の「ハーベスト」と春限定の「グリーン」の4種。オンライン販売も。

目指すのは“美味しいシードル”より“みんなに愛されるシードル”

「人が集まる場所には、お酒もあるといい」。高橋氏がシードル造りを思いついたのはそんな理由だったそうですが、時を同じくして津軽は未曽有の雹(ひょう)害に襲われます。「多くの農家が被害に合い、収入が激減しました。そんなときりんごで造る副産物があれば、代わりの収入源になる。シードルは農家のメリットにもなるんです」。当時はまだ“シードル”という言葉もさほど知られていない頃。無理だといわれながらも同世代のりんご農家に声を掛け続け、同業者22人でスタートをきったのが「kimori」でした。「モデルケースも、お金もない。でも根拠なき自信と運だけはあって、企業化の翌年に工房が着工、その翌年にはオープンを迎えられました」。
「経営を勉強したわけじゃないし、いまだに思いつきで行動することも多い(笑)。悩むより『やってみたい』が勝つんです」と高橋氏。
「kimori」のシードルは、「りんご農家が造るシードル」。ひと口飲めば、りんご本来の香りと味わいが大切に表現されていることが伝わってきます。そして特筆すべきは、日々の食卓にもするりと馴染むバランスのよさ。おしゃれなフレンチと合わせて気取るより、家でお惣菜と合わせて楽しみたいと伝えると、「だって昔は、りんご農家が作業の合間にコップで飲むお酒だったんですから。高級ではない、日常のものなんですよ」としたり顔の高橋氏。
「りんご公園」内の工房や自社畑は、名峰・岩木山を望む。津軽富士とりんご畑という、津軽を代表する景観を楽しめる絶好のロケーション。
弘前大学が培養する白神山地のブナ原生林から採取された酵母を使うのも、地元ならでは。作業風景をガラス越しに眺められる工房内には、りんごの木箱を利用した家具や地元の工芸作家の作品が置かれ、観光客を喜ばせています。「シードルだけ売るならこんなスペースはいらない。『kimori』は美味しいものというより、みんなに愛されるものであってほしいんです」。
人工的に炭酸を充填することはせず、無濾過のままのシードル。オリの味わいにも、りんご本来のほろ苦さが感じられる。

シードルのその先へ。先達に導かれながら、次の世代へ繋いでいく。

オープンから丸4年経った現在、シードルの出荷量は当初の倍の約2万本に。順調にも思えますが、今後生産量を増やすつもりはないと高橋氏。なぜなら、あくまでシードルは津軽のりんごに興味を持ってもらうための手段だから。今、氏が力を注ぐのは後進の育成です。「シードルを通じ、りんご栽培に興味を持ってくれる若い人が現れるようになった。でも後継者のいない農家に紹介したくても、技術がなければ意味がないんです」。この春から、担い手がいなくなったりんご畑を借り、4名の若手に栽培技術を指導。ゆくゆくは後継者問題に悩む農家など、働く場所も繋いでいく予定だそう。
畑で若手の指導にあたる高橋氏。「シードル同様、津軽のりんご栽培を活性化させる切り口はたくさんあるはず」と新たな挑戦にも意欲を燃やす。
りんご畑で、若者たちを前に作業をする高橋氏。その姿には、津軽のりんご産業の礎を築いた、モノクロ写真の先達たちが重なります。「津軽って不思議な場所ですよ。りんごを中心に、農家がいて、りんごの剪定鋏やりんご用木箱、かごを作る職人がいて……たったひとつのものが、これほどまでに地域と関わっている場所は他にありません。だからこそ、先達の存在は大きい。常に彼らの存在を感じるんです」。
工房名の「kimori」は、古来から伝わる風習「木守」から名付けられました。木守とは実りへの感謝を込め、高い枝にひとつだけりんごの果実を残す習わしのこと。真っ白な雪に閉ざされた津軽の冬、樹上にぽつりと灯る深紅の色は、神々しい美しさに満ちています。「kimori」のプロジェクトがスタートして10年。シードルから始まった計画がゆっくりと、でも着実にりんご産業を変えつつある今、ここは木守のりんごのように、津軽を照らす場所となったのです。

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

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