ソロ・ユニバ
#地図の読めないおやつ旅 #旅行記#おやつ探し #大阪 #ユニバーサルスタジオジャパン #フライングダイナソー
所用でひとり大阪を訪れることになり、空いた時間にユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行くことにした。他の予定もあり、ほんの少し雰囲気を味わえればと、午後3時からのトワイライト・パスを選択した。時間が限られているため、乗り物にはあまり乗れなくとも、セサミ・ストリートのグッズを買い、クリスマスの装飾を眺めて、何か食べられたらいいなくらいの軽い気持ちの訪問だ。
ユニバには、同僚と1回、家族と1回来ており、今回が3回目だが、いつも間隔が長く空くため、前回の記憶は薄れてしまい、元々馴染みもないため、ほぼ何も知らないに等しい。またハリーポッターを読んだことも、任天堂のゲームで遊んだこともなく、ミニオンの映画も見てないため、特別乗りたいアトラクションがある訳でもない。行楽シーズンで混んでいるだろうし、1つしか乗れない想定で、前回乗らなかったものの印象に強く残ったフライング・ダイナソーに乗るのはどうかと思いついた。ひっくり返った姿勢で走るのを目にしており、思い出しては恐怖心が煽られたため、YouTubeで動画を見たり、後輩に感想を聞いたりの事前リサーチを行った。後輩曰く「怖いうえに気持ち悪くなった」とのことで、すっかり怖気付いたが、この先当面ユニバに来ることはないだろうし、今回見送ったら後悔しそうで、ここは乗っておくに越したことはないと自分を鼓舞した。とは言えやはり怖いので、当日は入場したら真っ先に列に並び、無理くりにも乗せられてしまう他なく、万が一ひよっても、少なくともハリウッド・ドリーム・ザ・ライドのバックドロップとの二択だと己に課した。だが、旅行の日が近づくに連れ、恐怖心で寝付きが悪くなり、昼間も手のひらに変な汗をかいたりした。「これは無理なんじゃ」と何度も思ったが、別の同僚の「ジップラインができるなら大丈夫」との言葉に気を取り直し、当日を迎えた。
14時40分にパークに着くと、すでに15時からの入場者の列ができている。手荷物検査を済ませ、予定より10分早く入ると、人でごった返していて、なかなか真っ直ぐ歩けない。迷って時間をロスしたくないので係員に進路を聞きながら進み、フライング・ダイナソーのエントランスにたどり着いた。途中、コースターが頭上を走り、若干不安にはなったものの、勢いでシングルライダーの列に並んだ。今日は通常の列で120分、シングルライダーで90分の待ち時間。牛のような歩みで少しずつ列は進んでいくが、ある程度並んでしまうと妙に落ち着いて恐怖心はどこかへ行ってしまう。さすがに乗り場への階段を上がって行くと「いよいよだ」と緊張して来るが、中々奇数グループが現れず、あと少しのところでしばらく待たされてしまい、却って順番が焦がれる思いだった。私のグループは小学校低学年くらいの娘さんを連れたファミリーで、「こんな小さな子と一緒なのだから、醜態は晒せない」と気が引き締まる。座席に座り、シートが90度回転して、うつ伏せで吊られた体勢になると、普段とは違うところに体重が掛かり、ソワソワと落ち着かない。いよいよ出発を迎えると、心の中で「よっしゃー、行ったるで!」と掛け声を掛けた。頭から下方に落ちて行ったり、上空で仰向けになったり、初めてで予想がつかない動きを受け止めるのに必死で、叫び声ではなく、「おっ、そう来たか」の「おっ」しか出ない。怖いとはまったく思わず、気持ち悪くもならず、「なるほどこういう乗り物か」と考えてるうちに、あっという間に終わってしまった。
ここ数年「面白そう」とアンテナが反応した物事はできるだけトライすることにしている。アラフォーの私が教育を受けた時代は、先輩が絶対で、年長者が若い者を教え導くというスタイルだった。自分自身はそんな昭和的な価値観にどっぷり浸かって育ったが、いざ自分が先輩になった頃には、後輩たちは平成のフラットな価値観で育っており、齟齬が生じてしまった。まして今は令和である。目まぐるしく変化する世の中の仕組みや技術には若い世代の方が敏感で、年老いた者が若年者に教えを乞うような時代になってしまったと肌で感じている。
そんな時代に必要なのは、下手な信念やこだわりより、柔軟性とフットワークと好奇心ではないかと思う。例え自分は興味がなかったとしても、端からくだらないと決めつけたりしないで、「自分にはよくわからないけど、世の中にはいいと思う人がそれなりにいるんだな」くらいには受け入れてみる。なんなら一度は試してみる。例えば、後輩の話を聞いてコンビニでくじを引いたり、同僚が通っている油そばの店に行ったりしたが、くじで夢を買う高揚感や酢の効いたタレの旨さなど、どちらも試して初めてわかるクセになりそうな魅力があった。若い頃は世の流行に逆張りするのがかっこいいと思っていたが、年を取った者があんまりにも世間の動向に対し斜に構えた態度でいると、単なる「扱いにくい厄介な人」と認定されてしまう。特に私は子どもがいないので、将来的には他所様の若者にお世話にならざるを得ず、いかに「若者にかわいがってもらえるか」、今から心して準備しておかないとと思う。
この世にはありとあらゆる産業があり、製品があり、サービスがある。それだけさまざまな価値観や嗜好をもつ人間がいるということだ。また自分の中にも、高尚なものへの憧れもあれば、下世話なもので肩の力を抜きたい時もあり、どちらも偽りない本心だ。どちらが上か下とか、いい、悪いではなく、どちらにもそれぞれ良さがあるので、どちらも楽しめればいいと思っている。若い頃仕事でお世話になった方に「芸術の価値って結局面白いかどうかだよね」と言われたことが印象に残っている。芸術に限らず、物事も人間も話も「面白い」かどうかが大事だし、その「面白い」という感覚にもずいぶんと多様性がある。自分が「面白い」と思えるものの振り幅が広い方が、純粋に自分自身が楽しいうえに、多様な価値観を受容できて、生きやすいと思う。