あをによし〜NARAからあけましておめでとう
#地図の読めないおやつ旅 #旅行記 #おやつ探し #奈良 #東大寺
昨年の年末年始を京都で過ごし、新年を旅先で迎える非日常感がとても新鮮だったため、今年は奈良に行くことにした。元々10年周期で「奈良に呼ばれる」ような奈良好きであり、昔から年末年始の奈良、特に奈良公園の寺社の様子には興味があった。
昨年とは打って変わって、暖かくよく晴れた大晦日だ。元旦だと混んでしまうので、年内に春日大社をお参りし、東大寺や興福寺もぐるっと巡ることにした。以前よりは格段に外国人旅行者が増え、日本人も含めてそれなりに人出はあるが、ごった返すような混み具合ではない。春日大社から若草山の麓を通って東大寺方面へ抜け、三月堂、二月堂と順に回った。大仏殿の方へ降りる途中、鐘楼があり、標識を見ると「今晩22時30分から除夜の鐘の整理券を配る」旨が書かれている。昨年智積院で鐘を撞かせていただき満足したので、今年は鐘を撞くつもりはなかったが、鐘楼を目の前にすると好奇心が刺激されてしまう。せっかく年末年始に奈良にいるし、雪も降ってないし、これは並ぶしかないと考えを改めた。
当初は20時にホテルを出れば十分だと思ったが、部屋にいてもやることもないので、紅白のプレ番組が終わった19時に東大寺へと向かった。JR奈良駅に近いホテルなので東大寺まで歩くと30分近く掛かる。県庁のある通り沿いを歩いて行ったが、車の通行はあるものの道は暗く、歩行者はほとんどいない。東大寺の入り口まで来ると参道は真っ暗で、屋台の明かりだけが頼りだ。南大門をくぐり、大仏殿の前を通って、鐘楼の側へと階段を上がっていく。昼間のうちに行き方をよく確認していたため迷うことなく進めた。ひとり恐々鐘楼にたどり着くと、すでに4人先客がいた。皆さん常連らしく、ずいぶん早くから並んでいるとのこと。8人1組の同じグループということもあり、しばし仲良く談笑。お菓子を分けていただいたりもした。関西弁で話す方もいたが、埼玉県や福井県からいらしている方もいる。今年は20時の時点で10名ほどだが、コロナ前はもっと大勢いて、22時には定員に達していたそうだ。事実21時半の時点で最後尾が見えないほど人が集まり、さすが「天下の東大寺」だと思った。
22時を回ると風が冷たく冷え込んで来る。アスファルトの上にずっと立っていると底冷えし、脚も痛くなる。膝を曲げては伸ばし、足首を回し、血行をよくする。また足踏みをしては身体を温め、気を紛らわす。22時半になるとようやく整理券が配られ、ひとまず鐘は撞けると安堵した。この時間にもなると近くに並んでいる方と運命共同体的な連帯感が芽生えるのが不思議だ。そしてもうじき23時と言う頃、松明がつき、煙とともに温かい空気が流れて来る。
いよいよ23時半にもなると、寒さと疲労で頭がボーッと思考停止した。何も考えず、感じず、あと残り30分、ただじっとやり過ごすのみだ。そんな中、人の群れなど我関せず、目の前をゆっくり歩む鹿の姿に心が和み、人間らしい感情を取り戻すことができた。
新年まであと15分を切り、他の寺の鐘の音が聞こえると、先が見え、にわかに元気付いて来る。日付けが変わる頃、最初のグループの一員として鐘楼の前に誘導され、まず僧侶が鐘を撞いてから、我々の出番だ。係員に「引いてと言われたら引いて、放してと言われたら放して」と指示され、2人1組8人で4本の綱を引くと、まもなく「放して」の合図とともに終了した。あっけないと言えばあっけなかったが、一緒に待ち時間を過ごした方々と「よいお年を」と声を掛け合い別れられたのが、清々しい年の幕開けに感じられた。