_『161001~161231ググっとぐんまCP展開記念/我が思い出のぐんま⑦◇高崎市/徳明園・山徳記念館/201603月』
_●こんにちは。高崎市の「徳明園・山徳記念館」を紹介します。
_上州高崎は、街道の要衝に位置した商業の街で、高崎田町というところには、多くの豪商の店が軒を並べていました。
_徳明園は、明治~昭和時代の高崎商人・山田徳蔵の貴重な遺産であり、上州高崎の隠れた見所と言えるでしょう…。
_【山田徳蔵と徳明園・山徳記念館概要】
_●新潟県柏崎市四ッ谷に生まれた山田徳蔵翁は、先祖が高崎藩主・松平右京亮より米の御用達を命ぜられた米殻商だったので、雪にとざされる冬は毎年関東に出稼ぎに来ていましたが、やがて、高崎市の田町に定住するようになりました。商売は、高級呉服の背負い販売に始まり、群馬県下一円に得意先を広げ、県内の一番店として活況をみせておりました。大正時代の最盛期には、中国の青島にも出店し、東京、新潟にも支店を開設しました。そして国内外に交友を広げ、当代の多くの政財界諸名士ともしだいに親交を深めていきました。この間、信仰心のあつい翁は、財を私することを潔しとせず、30才余りの若さで観音霊場の自力建設を発願いたしました。そして深い洞察力と、強じんな意思と、すべての私財を投じ80歳で大往生を遂げる瞬間まで、半世紀の長きにわたって情熱を傾け尽くしてこの偉業に取り組み、洞窟観音山徳公園として後世への遺産とされたのです。昭和38年、財団法人洞窟観音山徳公園維持会が設立され、翁の遺徳を顕彰し、又公園の諸施設の維持管理の任に当たることになり現在も営々と活動が続けられております。
_●徳明園は洞窟観音に併設された北関東一の名園として名高く、群馬の銘石・三波石を主として全国から集められた数多くの石造物や巨岩で構築され、一部には枯山水をも配した回遊式の庭園です。自生の赤松に、新潟の黒松や、さつき等様々な名木を配植して造営された庭ですが、心無き仕業に荒らされる事もあって、長らくの間公開しておりませんでした。しかし、翁の遺業を受け継いで現在も引き続き整備工事は進行中であり、さらにこの庭園内に翁の遺品や、生前ここを訪れた多くの文人墨客の書画等を展示する山田徳蔵記念館を開設し併せて公開しております。
_●⇒「山徳記念館」のHPより引用。
2016.12.04

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