_『161001~161231ググっとぐんまCP展開記念/我が思い出のぐんま⑧◇沼田市/上州沼田城趾/201602月』
_●こんにちは。大好評に終わったNHKテレビの大河ドラマ『真田丸』…。信州真田郷の小豪族に過ぎなかった真田昌幸・信幸・幸村の真田親子が、長く仕えた武田家滅亡をきっかけとして、自分たちの領国を自分たち自身で守るために、上信両国境地域の攻略を足掛かりに、上杉・北条・芦名・織田・豊臣・徳川らの強豪たちを、何等恐れるどころか手玉にとって挑むという…ある意味泥臭く、それでいて何処か人間らしい生き方に共感した方も多いのではないでしょうか。そんな真田父子にとって、この上州沼田城は、侵攻してくる強豪たちの喉笛を押さえる要衝の地であり、最後の砦でした。この地の土豪沼田一門の御家騒動につけこんで、沼田一門を戦争によらない陰謀により滅亡させることで、沼田の覇者となりました。徳川の大軍を信州上田城で2度までも撃退し、大坂の陣では家康の本陣にまで斬り込むというゲリラ戦を展開するなど、歴戦の勇たちをして『日の本一の強者』と言わしめた真田父子。真田幸村の華々しい最期…?で終わった『真田丸』ではありますが、真田父子の本当の生きざまや執念は、この上州沼田城址にこそ、深く刻まれているのではないか…と考えます。
_●上州沼田城址概要⇒沼田城は1532年に沼田万鬼斎顕泰が築き、当時は蔵内城と呼ばれていました。1580年に真田昌幸が入城して城域を広げ、1590年に昌幸の長男・真田信幸が、沼田領2万7千石の初代城主となり、のちに五層の天守を建造しました。その後5代91年間にわたり、沼田藩真田家の居城となりましたが、1681年に5代藩主・真田信利が江戸幕府に領地を没収され、翌年1月に沼田城は幕府の命により完全に破却、その後天守が再建されることはありませんでした。現在、城跡は沼田公園となっていますが、石垣の一部など遺構をわずかに確認することができます。…沼田市観光教会のホームページより引用。
2016.12.22

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