🔆再び諏訪へ……
★大祝(おおほうり)
諏訪明神の依り代(生き神) 中世までは童子がなったと言われています。上社大祝は、中世まで諏訪の領主である諏訪家が世襲していました。武田信玄に諏訪宗家が滅ぼされ、江戸時代になり諏訪の一族である諏訪頼水が諏訪の藩主になりました。
つまり、先日投稿した
#高島城 のお殿様になったんですわ🤓
そのときに政教分離され、藩主 諏訪家、大祝 諏方家と別れました。その時点で童子の生き神という役割から、上社の神職の頂点という役職になったんですね。
中世まで
#前宮 に、神殿……生き神さまだから、神殿(ごうどの)と呼ばれる屋敷に住んでいたんですね。
で、ここに屋敷が移った理由はよくわからないのですが、織豊期にはここに屋敷があったらしいです。
説明がなが〰️くなってしまいました。
江戸時代は大祝 諏方家はブイブイ言ってかなり威張っていたみたい(*´ω`*)
どんな立派な屋敷かな〰️❤️とワクワク😃💕して行ったの。
小さい……かなり、敷地が縮小されたみたい。ドヨーンとした気が流れている。ここ暫く人が訪れた気配がない。立派な門はあったのだけど、クモの巣がはっているの🕸️🕷️ 写真を撮る気にならない🙅♀️ マニアックな人しか来ないのね。
唯一、土蔵がオシャレ。諏方家の梶の木の家紋がオシャレ。土蔵の後ろにあるのは諏訪市天然記念物、推定樹齢200年のイチョウ。掘っ立て小屋のようだけど、秋葉さまを祀っている祠。ここにも小さな御柱が立っている。
諏訪の地を歩くと小さな祠だらけ……ほとんどのものに御柱が立っている。
あっ、そうそう😃💡
平成14年に最後の大祝 が亡くなり、大祝諏方家は跡絶えてしまいました。
明治になり諏訪の神職はすべて廃止され、中央から派遣されてきた神職に変わったのです。でも祀りも祭りも続く……
諏訪にとって明治維新が一番の変革期だったんだ。
#諏訪 #上諏訪
#上社 #大祝