【駿河屋 紅羊羮の話】
豊臣秀吉が大名たちに配った紅羊羮を求めて五年か……
やっとわかりました。下のスポットのお店のおかみさんの話と、自分で🔍️したことを総合して結論としました。
〈駿河屋〉がたくさん出てきますので、便宜上呼び方を統一します。
『総本家 駿河屋』→和歌山 駿河屋
『総本家 駿河屋 伏見本舗』→伏見本舗
『駿河屋 本店』→伏見 駿河屋
【1589年】
秀吉が大名たちを集めて茶会をする。
その引き出物に『鶴屋』(現在の伏見本舗)に今までにない羊羮を作れとオーダー。蒸し羊羹ではないもの。でも寒天がなかったので練羊羹は作れない。何か工夫して滑らかな『紅羊羮』を作ったそう‼️ このレシピは残っていないのだとか。
【1609年】
徳川家康の下の方の子どもたちは伏見で育ちました。10男の頼宣少年は鶴屋(現在の伏見本舗)の饅頭のファンでした💕
駿河に独立した藩を作ったとき、この鶴屋の主をスカウトして連れていきました。伏見にも鶴屋を残しました。
【1619年】
御三家の一つ、紀州徳川家を創設。駿河から紀州にお引っ越し。鶴屋も引っ越し。
【1658年】
この頃には寒天が発明され、和歌山の店の当主が寒天を使った練羊羹を完成させる。この味が今も伝わっているのね😉
【1685年】
紀州徳川家に五代将軍 綱吉の娘の鶴姫さまがお輿入れ。鶴屋は恐れ多いことじゃ……ということで屋号を変更。『駿河屋』の屋号をお殿様からもらったみたい。
ここで 総本家駿河屋(和歌山)になる。
もちろん現在の伏見本舗も駿河屋に変更。
【1781年】
スポットの店舗登場❗️
総本家から分家して開業。最初に分家した店舗なんだそうです。
ここは伏見港の畔。大阪↔️京 を結ぶ淀川水路の宿場町。大変栄えていました。総本家の練羊羹を製造販売。
伏見駿河屋は以来、二百数十年、伝統と味、製法技術を守り続けて現在に至る。
伏見駿河屋の紅羊羮は透き通った紅色です。写真の色より、実際はもっと薄紅色です。
栗練り羊羮より滑らか。これぞ、羊羮って感じ。甘いよ〰️(^-^)/ 江戸時代のおみやげだから日持ちする。これも賞味期限3ヶ月‼️ 伝統だねー\(^o^)/
和歌山 駿河屋と伏見本舗は、和歌山が上に立ち🈺していましたが、2014年に経営破綻😅 その後、再建しましたが、伏見の人たちは「新しくできはったとこ」と言っているようです。
スポットの伏見駿河屋さんもチラシに
「旧総本家駿河屋より分家」とかいてありました。
伏見駿河屋が分家してから、分家・暖簾分けが数多く行われ、京都や大阪には『駿河屋』という店舗が数多くあるのです。
だから、なかなかここまでたどりつかなかったのかも‼️
歌人の与謝野晶子の生家は暖簾分けされた『堺 駿河屋』でした。現在はありませんが、堺の『与謝野晶子記念館』に当時とほぼ同じ大きさで再現されているそうです。
ちょっと興味が沸きますね〰️💕
行ってみたいな☺️
実は『ブラタモリ』の取材で最初に来たのが、このスポットの店舗。でも、分家だと分かると『伏見本舗』にいってしまったそう……本当の味と伝統を伝えているのは、ここの店なのにね。だから『ブラタモリ』の伏見の回を見て違和感を感じたのかも知れません。
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次回の羊羮投稿は
「なぜ小倉羊羮を〈夜の梅〉というのか?の謎に迫ってみたいと思います」