三重から日帰りで知覧をどこまで回れるかチャレンジ②
知覧茶屋🍚
知覧特攻平和会館の駐車場にあります。
特攻の母【鳥濱トメ】さんの味を引き継ぎ守り続けているお店です。
孫の鳥濱明久さんがこちらと靖国神社の八千代食堂に伝承しました。
トメさんは知覧町にある今のホタル館で富屋食堂を開業。
知覧飛行場が出来ると兵隊さんが食事をする指定食堂に選ばれ多くの隊員が訪れることとなりました。
戦争末期になると知覧は沖縄を死守するため航空機で敵艦に体当たり攻撃をする特攻隊の基地となり毎日のように沖縄へ出撃していくことになります。
知覧から飛び立った隊員の平均年齢は21.6歳。その出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごしたのでした。
出撃前の隊員にとって憩いの場となっていた富屋食堂ではみんなトメさんの玉子丼を楽しみにしていたといいます。
隊員達を我が子のように接して、食べたいものを食べさせてあげるために私財を売り払い食料調達していました。
時には規律を破って隊員の手紙を故郷の家族へ届くように夜中にこっそりポスト投函したり、出撃が決まった隊員の最後の日の様子などを手紙にして故郷の両親に送ったりしていました。
こうしていつしか特攻の母と呼ばれるようになっていました。
終戦後も「特攻隊のことを絶対忘れてはならない」と
幾度も空襲を受けボロボロになった知覧飛行場跡地に木の板で自作した慰霊碑立てて「これがあの子たちのお墓」と店を手伝っていた2人の娘たちにも教え、その日から毎日通い続けました。後にそこは特攻平和観音堂となります。
その頃トメさんも高齢になり足が悪くなりますがそれでも毎日、毎日、雨の日も片手は杖、片手はお供え物と傘もさせない状況になりながら毎日赴いて手を合わせ続けたそうです。
ちなみにこの2人の娘のひとり礼子さんは新宿で【薩摩おごじょ】と言う店で(現在はお孫さんが運営)味を引き継いでいます。
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