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2025.09.30
昭和初期の優雅な邸宅を無料で見学できる、愛知県岡崎市の「旧本多忠次邸」
愛知県岡崎市にある「旧本多忠次邸」は、昭和初期に建てられた邸宅。旧岡崎藩主本多家の末裔にあたる本多忠次が、東京世田谷に建てたものです。のちに、岡崎市に移築復元され、現在は無料で公開されています。邸宅の主、忠次自身が細部までこだわって基本設計を行った建物は、上品で優雅なたたずまい。オリジナルの家具や趣向を凝らしたデザイン、当時最先端だった設備など見どころが盛りだくさんです。
徳川四天王の一人、本多忠勝の子孫が建てた邸宅

当時ブームとなっていた田園趣味を反映させた、スパニッシュ様式を基調とした外観
旧本多忠次邸がある岡崎市は愛知県のほぼ中央に位置する街で、徳川家康公の生誕地として知られています。この邸宅の主、本多忠次も家康公にゆかりのある人物。徳川四天王の一人、本多忠勝を始祖とする旧岡崎藩主、本多家の子孫です。本多家の十七代目・忠敬の次男として生まれた忠次は、学習院を経て、当時最先端の学問領域であった東京帝国大学文科大学哲学科へ。1932(昭和7)年、36歳の時におよそ1年をかけて、東京・世田谷にこの邸宅を建てました。

忠次が邸宅の間取りを描いたスケッチなども残されている
建築に当たっては十分な準備期間を確保し、周到な調査を行った忠次。参考になる建物を見学して回ったり、書籍を通して建築について学んだりもして、敷地の選定から建築の基本設計まで自分で行ったそうです。邸内を見学すると、細部まで貫かれた並々ならぬこだわりや洗練されたデザインに、豊かな暮らし、多様な学びや経験を経て身に付けた、忠次の知性や教養、審美眼が感じられます。

玄関を入ると、さっそく扉の装飾や、縁にまでデザイン性を持たせた階段などに目が行きます(上、右下)。玄関広間の花台にあしらわれたレリーフは、本多家の家紋「丸に右離れ立葵」を忠次がアレンジしたもの(左下)
東京都にありながら、戦災に見舞われることがなかったこの邸宅。戦後はGHQに接収された時期もありましたが、その間建物はもちろん家具なども丁寧に扱われました。返還後は忠次が103歳で亡くなるまで、長年大切に暮らし続けたそうです。また、岡崎市への移築の際にも、資料を基にさまざまな技術を生かした修復や復元が行われたことで、現在でもほぼ建築当時の姿にふれられる貴重な建造物となっています。
気品が漂う団欒の場と、暮らしぶりが伝わる食堂

南側の大きな窓からの日差しで明るい団欒室。くつろぐ人たちの会話が聞こえてきそう
建物西側の玄関を入って広間を抜けると、団欒室と食堂があります。さまざまな来客をもてなしたであろう団欒室は、ゆったりした応接セットや造り付けのベンチソファー、蓄音機などが配され、優雅なサロンの雰囲気が漂います。ほとんどが建築時にオリジナルで作られたという家具や照明器具も見どころ。それぞれの部屋で違った趣があるので、ゆっくりと確かめながら見学しましょう。

重厚な家具でまとめられた食堂。奥にある食器棚の中ほどには隣の配膳室とつながる給仕口があり、棚の横には呼び鈴も設けられている

団欒室や食堂を飾るステンドグラス(左)。天井の装飾は古代ギリシャ以来、モチーフとして建築や工芸品に用いられることが多い植物、アカンサス(右上)。忠次が愛用したデカンタとグラス(右下)
昭和初期には稀な先進的かつ美しい浴室

2階の浴室にはシャワーが設置され、ステンドグラスは竜宮がテーマになっている
旧本多忠次邸で、ぜひ見ておきたいのが1階と2階にあるお風呂です。古い建物では、まずリフォームされることが多い水回りですが、こちらでは建築当時のまま残されています。 1階は湯殿と呼ばれたお風呂。建物の東の端にあり、外からも出入りできる扉が付いています。朝や昼に入浴する忠次が、ガーデニングの後にこの扉から入ることもあったそうですよ。ステンドグラスやタイルなどの装飾に目を奪われますが、昭和初期の住宅としては最先端の設備にも驚かされます。2階にも浴室があり、違ったデザインになっているので、こちらも見比べてみてくださいね。

1階の湯殿では、モザイクタイルは花柄に、アーチ状のステンドグラスにはぶどうがデザインされている
当時の流行を取り入れた個性的な空間も

外に向かって弓(ボウ)のように張り出していることから、ボウウインドウと呼ばれる窓
外から見るとカーブを描いている建物の南東側。1階は日光室と夫人室、2階は書斎になっています。ボウウインドウと呼ばれる半円状の窓から一日中外光が差し込む設計です。書斎の隣には、茶室がありますが、こちらはテーブルセットを配した洋風。紅茶好きだったという忠次、お気に入りの空間でティータイムを楽しんだことでしょう。

アール・デコ様式を取り入れた茶室の照明やテーブルセット(左)。書斎の手前には2台のベッドをしつらえた寝室がある
武家出身らしい風格が漂う、格式の高い和室

控の間から奥に向かって、次の間、客間と続く
2階の茶室から西側には、外観からは想像できない純和風の三部屋が備えられています。手前から控の間、次の間、客間があり、一番奥の客間がもっとも格式の高い造りに。床柱や違い棚、付け書院などで格の違いが感じられます。武家出身の忠次らしい、風格が漂う和の装飾もじっくり味わってみてくださいね。

客間の欄間の透かし模様は、鶴と雲。家人は客間を「鶴の間」と呼んでいたそう(左上)。客間の付け書院には吉兆柄の亀甲組子(右下)。1階の夫人室も和室。和モダンな照明や、上品な草花柄をあしらった襖なども素敵(右上、左下)
十分時間をとって見学したい、見どころの多い建造物

三連のアーチが美しいアーケードテラス
旧本多忠次邸の特徴を紹介してきましたが、いかがでしたか。前庭などの屋外や、貴重な資料を集めた展示コーナーなど、まだまだ見どころは尽きません。不定期で展覧会や体験講座などの催しも行われているので、ぜひ見学には十分な時間をとって訪れてみてくださいね。
旧本多忠次邸
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文:豊野 貴子 写真:北川 友美
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