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2021.03.25
中華のスターシェフを移転に踏み切らせた「最高のレストランとは!?」。[長江SORAE/香川県高松市] by ONESTORY
「日本に眠る愉しみをもっと。」をコンセプトに47都道府県に潜む「ONE=1ヵ所」の 「ジャパン クリエイティヴ」を特集するメディア「ONESTORY」から香川県高松市の「長江SORAE」を紹介します。
長坂松夫氏。東京『麻布長江』で一時代を築き上げた、言わずと知れた中国料理界の重鎮です。過去に多くの名シェフを輩出してきたことでも知られ、調理師学校の講師時代にはあの『龍吟』の山本征治氏も授業後に教えを請いに足繁く店へと通い、5月26・27日の2日にわたり大分県国東半島で開催予定の『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』にて腕を振るう『茶禅華』のシェフ・川田智也氏が今も師と仰ぐ料理人でもあります。 そんな長坂氏が、自らの店『麻布長江』を弟子に譲り、香川県高松市に『長江SORAE』をオープンしたのは、2010年のことでした。まさに、東京でスターシェフへと上り詰め、テレビ・雑誌などのメディアからも引っ張りだこだった時分。順風満帆な時を過ごしていた真っ只中のことでした。
生産者のもとへ車で案内してくれる長坂氏。車中では生産者たちへの想いをじっくりと語ってくれた
では、なぜ長坂氏は高松へ移転してきたのでしょうか? 東京での約束された未来を投げ捨てようと決意させたものは何だったのでしょうか? 移転当時、長坂氏はすでに60歳を過ぎていました。もしかしたらセカンドキャリアをゆっくりと楽しむための決意だったのでしょうか? 高松市の北東、かつての源平の古戦場として知られる檀ノ浦の海辺。『ONESTORY』取材班は、対岸に庵治(あじ)の町を望む風光明媚なロケーションに店を構える長坂氏のもとへと駆けつけました。 そこで長坂氏が表現していたのは、料理人の哲学、美学を貫いたレストランと料理のあり方でした。

えぐみがないからそのまま調理できるホワイトアスパラガス
植村氏の奥様と談笑。小屋の中ではトマトや生のアスパラガスにそのままかぶりついた
料理にも、レストランづくりにも己の哲学を行き渡らせる長坂松夫氏。生産者もやはり長坂氏のお眼鏡にかなった人かと聞けば、長坂氏は笑って「僕がこの高松で付き合っている人たちは奇人変人ばかりだからね。己の信じたものにこだわって、己の道を突き進んでいる人しかいない。人間的なクセというか、強い個性がある人ばかりだけど、そこはどうでもいい。大切なのは生産者としての本質であり、人生をかけてやっていることを我々がどう受け入れて、どう吸収するかだよね」と答えてくれました。
アスパラガスを前にした長坂氏と植村氏。互いに意見を言い合えるほどの信頼関係を築いている
そんな中、長坂氏が「事前にロケーション・ハンティングを済ませておいたから」と言って連れて行ってくれたのは、アスパラガスの農家の植村隆昭氏のもとでした。 ビニールハウスの中に並ぶのは、何やら袋が被せられたアスパラガスがにょきにょき。実はこれ、陽に当たると緑になってしまうホワイトアスパラガス。光を遮断して栽培しているのだそうです。
収穫されたばかりのこの日のホワイトアスパラガスはやや小さめ。噛みしめると瑞々しさと甘さが口の中に広がる
「ここのホワイトアスパラガスはえぐみが本当にないんだよ。そして太くて甘い。えぐみが出るアスパラガスだとどうしても酸味を足したり、甘みを足したりするから、素材本来の味が出せない。ここのものはそれがないから、戻し貝柱の旨味を吸わせて調理するのが定番だね」と長坂氏が言えば、植村氏も「よく使って頂いているシェフにも、なぜこんなにえぐみがないのか聞かれるんですけど、科学的検証をしたわけではないのでなんとも言えない……。ただひとつ言えるのは、除草剤は使わず、有機質の肥料を半分以上使っているということ。農薬については、安全な農薬であることが理由のひとつかもしれません。素材自体の安全もそうですが、生産者にとって安全な農法であることも大切だと思っていますから」と返します。

探求心と本気度が伝わる長坂氏がいう奇人変人たちはこれ以上ない褒め言葉
やはり店の雰囲気からして、一般人を相手にする鮮魚店とは異なる。そこら中に発泡スチロールが置かれている
一流の生産者とは何かと長坂氏にたずねたところ、「いいものを作っている人は、それを更に良いものにしたいから、いい料理人に使ってもらいたいと思うんだよ。自分の能力を更に高めるために、色々なアドバイスをもらいたいから、生産者は様々な食材を料理人の所に持ってくる。その向上心が一流になるための条件だよね。その探究心をプライドが上回ってはダメ。こうして高松でやっているけど、やっぱりそういう人たちがまだまだ少ない」と、長坂氏ならではの答えが返ってきました。 実は、植村氏もそうして『長江SORAE』と付き合いが始まった生産者のひとりだとか。長坂氏のもとへ直々に食材を持ってきて、「使ってください」と頭を下げたといいます。それから長坂氏との付き合いが始まったのだそうです。
長坂氏がホテルで料理長時代に使いたかったのはまさしくこうした小魚なのかもしれない
長坂氏が次に連れて行ってくれたのは、『魚信』という地元のプロフェッショナル御用達の鮮魚店。ここにもまた長坂氏が「奇人変人」という人がいます。店主の北岡重信氏は、365日のうち360日をここへ来て働いている人です。何がすごいかといえば、「自分がもし休めば、香川の飲食店が止まってしまう」と本気で思ってやっていること。実際、北岡氏はほぼ休みがないため旅行にすら行ったことがなく、更に取引先の関係者が亡くなった時も仕事着でそのまま来て、焼香だけを済ませて帰ることもあったとか。魚に、商売に、とんでもない情熱をかける職人だといっていいでしょう。やはり、奇人変人でも確かな芯があるようです。長坂氏が一目置くのも納得です。

40年来の付き合いがある鮮魚店。今では高松に欠かせない店に
高松のホテルでの料理長時代から、かれこれ40年ほどの付き合いがある鮮魚店『魚信』
そもそも長坂氏と北岡氏の付き合いが始まったのは、長坂氏が高松のホテルで料理長を務めていた時でした。 「ホテルのレストランで小魚を使いたくてね。でも、ホテル専用の魚屋さんに頼むと、そういった小魚は手間もかかるし、相手にされなかった。そんな時、知り合ったのが北岡氏。そこで『実は店でこういうことをやろうと思うんや』と言って少しずつ仕入れてもらうようにしてね。当時はプロフェッショナル専用の魚を出していたわけではないけど、徐々にそうした魚が増えていったんだよね」と長坂氏。
一般人は買えないこともないが、料理人たちが買いに来て殺気立つ午前中は避けるべし
それから40年ほどの月日が流れ、今では高松中のレストランがこぞってやって来る店になった『魚信』。北岡氏になぜそれほど働くのかと聞くと、「なんだろうね、ただ商売が好きなんだろうね」との答え。そっけないが、その言葉の奥に隠れている思いは2代目である明彦氏が次のように代弁してくれました。「地元の飲食店さんが良くなればな~と思って、色々なものを仕入れてきているだけですよ。『都会と比べてどうしても……』と言われないように、できるだけいいものを揃える、それだけです。やっぱり注文分だけの仕入れじゃ面白くないと思いますし、こっちの方が売る側も買う側も楽しいし、やりがいがあるじゃないですか」。 14時過ぎに店を訪れた時には買いつけにやって来る人もまばらで、店は少し和やかなムードに。これがオープン前だと殺気立って声もかけられないほどというから、想像もつきません。 長坂氏が連れて行ってくれた農家と鮮魚店。タイプは違えども、まぎれもなく、東京でも通用する「奇人変人」でした。
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