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2014.01.10
昭和の生活に思いをはせる、軍艦島へことりっぷ
※こちらの記事は世界遺産登録前に取材したときのものです 長崎県長崎市の港からフェリーで1時間ほどの場所にある「軍艦島(ぐんかんじま)」という島を知っていますか? 昭和期に海底炭鉱で栄えた小さな島で、当時は人口密度が世界一、東京の約9倍の人が生活していました。 正式には端島(はしま)という名前なのですが、海から見たそのシルエットが軍艦「土佐」に似ていることからその名前が付いたそうです。 軍艦島は大正から昭和に至る集合住宅の遺構として、世界遺産暫定リスト「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部にも登録されています。 今回はこの島の歴史を学ぶ、いつもと違ったことりっぷをしてみましょう。

上陸が解禁されたのは、ほんの最近。時間が止まった別世界の島に上陸です

長崎漁港から船に乗船します
軍艦島へは長崎港からいくつかのツアー会社が運航していますが、今回は「やまさ海運株式会社」さんの上陸周遊コースを利用しました。 2009年4月より上陸が解禁となり、これまで41万人以上が上陸しているそうなのですが、実は上陸できる可能性は2/3ほど。今回は無事上陸することができましたが、天候や波のコンディションによって、3人に1人は上陸できない事もあるのだそうです。

地元のガイドさんが、島の歴史を丁寧に説明してくれます

軍艦島ガイドの山下さん
無事上陸すると、地元のガイドさんが乗船した人へ建物1つ1つのガイドをしてくれます。若い女性やお年寄りの方、来ている人は様々で、1人できている人も珍しくないようです。 映画「007 スカイフォール」の舞台モチーフにもなったという65号棟の話も聞くことができるんですよ。 島内はあまり広くないですが、建物の劣化が激しいので歩けるのは西側のほんの一部の通路だけ。それでも、時間の止まった別世界にいるような気持ちになってしまいます。 ちなみに、ガイドさんの後ろに見える灯台は無人島になってから取り付けられたもので、それまでは灯台をつけなくても建物の明かりで十分だったのが理由だそうです。ここでたくさんの人が生活していたと思うと、とても感慨深いです。

炭鉱で栄えた島は何でも揃う、最先端の街でした

軍艦島の人たちはどんな生活をしていたのでしょう? 実は、当時としては非常に恵まれた生活を送っていたようです。なかなか手に入らないテレビが多くの世帯にあったり、映画館や飲食店もたくさんあったそうです。 今なお立ち続けている30号棟は国内初の鉄筋コンクリート建築物としても有名で、当時の軍艦島の発展具合をうかがい知ることができます。 閉山し、無人島になったのは1974年の事で、燃料革命による時代の流れなのだそうです。 そこから何も手が付けられず、自然に風化していくのはどこか寂しい感じもします。


乗船後は上陸証明書がもらえます

一時間弱のガイドさんの説明を聞いた後は船で島をぐるっと一周して長崎漁港に戻ります。 下船後は「軍艦島上陸証明書」をもらうことができます。 旅の記念にも、こういったものがもらえるのはうれしいですよね。 長崎県といえば、異国情緒漂う街並みが思い出されがちですが、こんな貴重な体験ができる島があるんです。 半日ほどで終わる軍艦島クルーズ、長崎観光の1つにいかがでしょうか。

やまさ海運株式会社
ヤマサカイウンカブシキガイシャ
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