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女優業とお米づくりを両立させる。|地元・福岡を拠点にフリー女優として活躍する山本由貴さん

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女優業とお米づくりを両立させる。|地元・福岡を拠点にフリー女優として活躍する山本由貴さん
東京暮らし10年目にして福岡へ移住した、ライター寺尾えりかによる“福岡に住み、町を盛り上げようとしている人たち”を数珠繋がりで取材する連載『よかひとのともだちはよかひとたい』。

第四回目は、福岡中のワイン通が足繁く通う「とどろき酒店 薬院stand!」店長の石田和也さんのよかひと(友達)で、福岡を拠点に女優・ナレーターなど幅広い分野で活躍している、山本由貴さんです。

グラビアからのスタート

グラビアからのスタート 取材場所は山本さんのご自宅。着いて早々おいしいお茶を淹れてくれた。
―石田和也さんからバトンを受けられた山本さんですが、山本さんから見た石田さんはどういう方ですか?

山本:
初めて会ったのは、カズくんがまだREC COFFEEのスタッフをしていたころでしたね。仕事終わりにまっすぐ帰らずに、いつもどこかでコーヒーを飲んだりすることが多いのですが、当時はREC COFFEEでカズくんのコーヒーを飲んで帰るのが定番のコースでした。それからしばらくして、ひょんなことからふたりで大濠公園でピクニックしたり。カズくんの方が年上(なのかな、多分…)なんだけど、近所に住んでいる気の合う男友達みたいな、ころころ懐っこい弟みたいな、そんな感覚です。アハハ(笑)
大通りからほど近い場所にも関わらず、「田舎の古民家」のような雰囲気と静けさがただよう。
―わ〜理想の友達関係ですね!では…さっそくなのですが(笑)芸能活動を始めたきっかけを教えてください。

山本:
西日本新聞に『着物を着てCMに出ませんか?』っていう折り込みチラシが入っていたんです。もともとモデルに興味があったのと、着物が着られるなら…と、母に相談。というのも当時私は13歳で、オーディションの応募条件として16歳以上という記載があったんです。そしたら母はアッサリひとこと「電話してみたら?」と(笑)思い切って電話してみたところ、事務所側も「ぜひ来てください」とのことでオーディションに行き、その場でスカウトされたんです。
室内には、日差しがたっぷりと降り注ぐ。
―13歳でデビューされたんですね!

山本:
そうなんです。その後、福岡で東京の事務所にスカウトされて、東京での活動も始めることになるんですが、その栄えある一発目のお仕事として受けたオーディションが某有名週刊誌のグラビアでした。しかも同時に2冊…!当時、お笑い番組がすごく好きだったんですが「芸人さんとお仕事してみたい」=「グラビアしかない!」っていう思考回路だったんです。けれど、いざオーディションに応募してみたらグラビアが急に嫌になっちゃったんです。10代って難しいお年頃ですよね〜〜〜!(笑)
―で、合格しちゃったんですね(笑)

山本:
2冊同時に合格をいただきました。事務所の方と相談したんですが、やっぱりどちからは受けなくてはいけないということで、1年間限定で引き受けることにしたんです。そこからは数ヶ月に1回、グラビア撮影のためだけに東京まで通い、それ以外は地元で学校に通いながら福岡でお仕事をしていました。

モデルから女優へ…

モデルから女優へ…
―当時はグラビアとモデルのお仕事中心だったんですね。お芝居はいつごろから始めたんですか?

山本:
そのころは「自分にはモデルしかできない!」って思っていたんです。高校卒業後は進学せず、本格的にモデル業一本という生活になりました。しばらくしてローカル番組などに出させていただくようになったのですが、25歳の時にすべて降板させていただいてお芝居に集中することにしたんです。

―……!その間に何があったんですか?!

山本:
江口カンさん監督の『めんたいぴりり』というドラマに1話だけ出演させていただいたんです。その時に「わーっ!!お芝居って楽しい!」って、自分の中でビビビッと革命が起きて。同時にいくつものことに力を注ぐことができない不器用な性格なので、そこからきっぱりとお芝居にシフトしました。
食器棚の中には、こだわりのアイテムがずらりと並ぶ。
―お芝居の勉強はされたんですか?

山本:
ワークショップに通ったりはしたんですが、現場で見て聞いて勉強することが多かったです。今では舞台だけではなく、短編映画やナレーションのお仕事などにも挑戦させてもらっています。

―どんどん幅が広がっていますね!

山本:
いや〜本当にありがたいです!今は独立してどこにも所属していない状態なので、お仕事をいただくのに大切なのが“人とのつながり”なんです。出演依頼も直接私の携帯電話にご連絡いただくのですが、みなさん何だか学生の恋愛のようなテンションで、「山本さんの友達の◯◯さんに連絡先をおうかがいしたんですが…」って(笑)

―人とのつながり…福岡らしさを感じますね!ちなみにもう東京に未練はまったくないんですか?

山本:
ないです。何だか自分が東京に暮らしながら働いているイメージが湧かなかったんですよね。私の場合、人や情報に流されやすいといので、自分のペースを守れる環境におかないと多分ダメになっちゃうタイプなんです。ただ、ずっと自分のペースだけを守っていても何の刺激もないから、舞台を観に行くとか何かしら理由をつけてフラッと上京したりしています。

お米づくりは「暮らし」

お米づくりは「暮らし」 お米のストックの一部。隣では豆苗が芽を出している。
―今、お米づくりにも取り組まれているんですよね。それも東京を拠点としていたらなかなか実現が難しかったことですよね。

山本:
そうですね。女優業とお米づくりが両立できているのは、中心地からさほど離れていない場所でもそんな暮らしができる福岡ならではなのかもしれません。

―いつごろからお米づくりを始めたんですか?

山本:
4年ほど前からです。1年目は24キロほどしか収穫できなかったのですが、今年は100キロ収穫しました!
庭で詰んできた草花を花瓶に。
―すごい急成長!お米づくりをしようと思ったきっかけは何だったんですか?

山本:
ちょうどそのころ色々悩んでいた時期で、急に思い立ってミャンマーの寺院に“瞑想修行”に行ったんです。…まではよかったんですけど、むこうで死にそうになってしまって。

―え゛っ!!!!!

山本:
食べ物が合わなかったのと、瞑想に慣れてないと危険が伴うこともあるらしくって。今でも忘れもしない2014年12月31日、全身の力が入らず倒れ込んでしまい「もうこれで最期なんだ…」と、心の中で両親への別れを告げたんですが、尼さんが付きっきりでお世話してくれたおかげで無事に回復。そこから…なんだろう…ミャンマーでは言葉も通じないのでフィーリングでしかないんですけど、経験したことや教わったことがすごく大きくて、人生観が変わりました。思えばそれが転機だったのかもしれません。
―あれ?お米づくりの話しだったような…(笑)

山本:
あっそうでした(笑)私の祖母と両親が福岡県の星野村という田舎の育ちで、当たり前のようにお米やお茶をつくっていたんです。だから私も大人になったらお米つくるのかな〜って潜在的に思っていて。ある日、棚田の中の石に腰かけてご飯を食べてたら、目の前にお米が実っていて「あ、お米つ〜くろ♪」って(笑)理由はないんですけど「タイミングが来た!」って思ったんです。瞑想に行ってから、ものごとを考えたり見たりする視点が変わったんですよね。こんな暮らしもそう。それまでは普通にマンション住んでいたんですが、地面に近いところで暮らしたいって思って庭付きの平屋を借りたんです。
寒空の下で熟成中の干し柿を見せてもらった。
―24歳でその決断はすごいですね…!お米づくりは誰から教わったんですか?

山本:
ん〜…教わってないかも。インターネットで調べたり、知り合いに聞いたりしていました。祖母にも一応聞いてみたんですが「もう覚えとらんよ〜」っていわれたんですよ。でも私が調べた情報を「こうするらしいよ〜」なんて伝えると「こげんしよった、こげんしよった!」ってどんどん思い出してくるみたいで、教えてもらったりしました。今では一緒にお米を作っています。
山本:「干し柿食べませんか?1週間半前くらいから干していたので、もう食べられると思いますよ!」 」
山本:「3個収穫!イエイ!」
ということで、山本さんとカメラマンのかわのさん、私の3人で干し柿をいただく。甘くておいしい。干し柿が苦手だったというかわのさんもペロリとたいらげた。山本:「若い女子が3人集まってするこじゃないよね〜!(笑)」
―福岡のどういうところが好きですか?

山本:
良いも悪いも同じところで、人とつながるとこじゃないですかね。人が近いっていうのはすごくいいなって思ってて。福岡以外の場所に行ってすごく思うのが、人に対する熱量が全然違うんですよね。福岡の人って本当に人が好きなんだなぁってそのたびに感じるんです。

―福岡で好きなお店はありますか?

山本:
まず1つ目が、今泉にある『マリブロン』です。1階が古着屋さんになっていて、週末だけ2階で喫茶営業もされています。古着屋さんでもよく買い物させてもらっているんですが、特にお気に入りなのが2階の喫茶。天気がいい日は1人で行って、昼間からのんびりワインを飲んでたりします。店主さんがレコードを流してくれるんですが、それが本当に丁度よくって。誰かと何を話すわけでもなく、とにかくボーッとしています。
そして、友達夫婦が営んでいる高宮のパン屋『sou』 もはずせないです!店内は、工房まですべて見えるようなつくりになっているんですが、奥には大きなベビーベッドが置かれ、小さな看板息子も出勤しているんです。そのほっこりとした雰囲気に何だか実家に帰ったかのように心が落ち着くんですよね。
空間と山本さんの雰囲気が溶け合い、映画のワンシーンのよう…。美しい。
―プライベート面と仕事面で、今後の展望を教えてください。

山本:
お米づくりはすでに生活の一部になっているので一生つくり続けると思います。朝ごはんがすごく好きで、自給率を100%にするのが夢なんです。私の定番朝ご飯は“白米と味噌汁”なので、味噌を自家製にすればあとは野菜だけ。将来的には星野村に戻って、お米や野菜を育てたいと思っています。
劇団「14+(フォーティーンプラス)」に参加させていただいた時の台本。セリフの変更点や感じたこと、演出家からの指示がびっしりと書き込まれている。
山本:仕事面でいうと、お芝居をしている時が1番楽しいからこれも一生続けたいな〜って思いますね。コツコツと積み重ねていって、誰かの心のどっかに“ちょこっと”“ほわっと”残るような女優さんになりたいと思っています。最近、韓国や中国の監督の方とお仕事する機会が増えてきているので、海外の方ととお仕事をするようなこともどんどん挑戦していきたいです!
―中国、韓国が近い福岡ならではっていう感じですね!

山本:
たしかに!そうかもしれないです。表現の仕方にも違いがあって、日本は島国だからすごく繊細で表情や目線で心情を表すんです。それに引き換え、中国や韓国は大陸系ですごくダイナミック!だから、お互いそれを面白がり合いながら、刺激し合いながらお芝居するのが本当に楽しいです。目指せ!中国&韓国進出〜!(笑)

よかひと(山本さん)が紹介する、よかひと(友達)とは?

よかひと(山本さん)が紹介する、よかひと(友達)とは? 家族のようにかわいがっている、十日恵比須神社の「えびすさん」と。
―それでは最後に、次にバトンタッチする⽅を教えてください!

山本:
平尾の『花屋マウンテン』の店主・繁森さんです!お仕事のつながりで出会ったんですけど、すごくかわいらしい方なんです。なんていうか…植物がたまたま人間になっちゃったっていう感じ。あ、ちなみに男性ですよ?(笑)そんな繁森さんが選ぶお花は、本当に素敵。でも、そんなにおしゃべりな方じゃないので、どんなことを考えているのか私も色々知りたいです!

【お話を伺った人】
女優・ナレーター・モデル
山本 由貴
1989年生まれ。福岡を拠点とし、舞台や映像など様々な分野で活躍。2014年から本格的な無農薬の棚田米を育成し、「暮らしと食べること」という映像コンテンツも発信している。
YUKI YAMAMOTO official website
寺尾えりか

寺尾えりか

福岡市在住のフリーライター。東京から福岡への移住を機に、出版社を退社しフリーランスの道へ。ベレー帽をトレードマークに日々奮闘中。雑貨とアクセサリー、インスタグラムの中の猫(飼っていない)を愛でるのが至福の時。

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