![スタイル、ペアリング、全てが圧倒的にユニーク。宮崎から地方鮨のあり方をアップデートする。[一心鮨 光洋/宮崎県宮崎市] by ONESTORY](https://image.co-trip.jp/content/14renewal_images_l/523907/main_image_20210511183044309.jpg)
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2021.05.13
スタイル、ペアリング、全てが圧倒的にユニーク。宮崎から地方鮨のあり方をアップデートする。[一心鮨 光洋/宮崎県宮崎市] by ONESTORY
「日本に眠る愉しみをもっと。」をコンセプトに47都道府県に潜む「ONE=1ヵ所」の 「ジャパン クリエイティヴ」を特集するメディア「ONESTORY」から宮崎県宮崎市の「一心鮨 光洋」を紹介します。

「宮崎に『一心鮨 光洋』あり」。 全国を食べ歩く食通たちは、そう口を揃えます。宮崎駅から徒歩で10分前後の場所にある創業46年の鮨店は、この4~5年にその名を全国区にし、県外から、そして海外からもゲストを集める人気店に成長しました。全国的に見ても、鮨の市場は近年「バブル」といわれるほどの活況ぶり。海に囲まれた日本では、魚介は農作物以上に土地を表す食材ゆえ、「その土地ならではの味」を求めて全国を食べ歩く人々が、鮨にプライオリティを置くのも納得です。しかしながら、そうした鮨店におけるゲストの均質化が、サービスの多様化につながっていることも否めません。熟練の食べ手ほど「どこに行っても高級江戸前スタイル」と嘆きます。

チーム『一心鮨 光洋』。左が一光氏。調理担当、サービス担当の別なく、ベテランから新人までが団結してサービスを提供する
そんな中、『一心鮨 光洋』が持つオリジナリティの根源はどこにあるのでしょうか。キーパーソンは、父が築いた店を継ぐ代表の木宮一光氏。職人ではなく、サービスマンが店の顔となる鮨店は、地方鮨隆盛の今でも、そして年間100軒を超える新店が誕生している東京でも、例がありません。 ただ、初めから今のスタイルを目指して上りつめてきたわけではありませんでした。苦労も予期せぬ事態もありましたが、その時々の判断で、妥協することなくベストを探り続け、『一心鮨 光洋』は他に例を見ないスタイルをつくり上げてきたのです。鮨業界の未来を照らし、新しいあり方を指し示す意味でも注目すべき1軒。その物語を紐解きます。

逆境をチャンスに変えて。新時代到来にいたるストーリー

数寄屋造りの立派な建物は、通りからも目を引く。建物の周り、中庭に緑を配し、店内で宮崎の四季を感じられる造りに
「まさか私が店を継ぐとは父も思っていなかったでしょう。数年前まで、私自身ですら考えもしなかったことですから」と、木宮一光氏は感慨深げな表情で話します。 『一心鮨 光洋』の親方・木宮一洋氏が、店を離れるらしい。そんな噂が耳に入ってきたのは、今から約2年前のことでした。創業者・木宮一高氏の長男である一洋氏は、一光氏にとっては9歳離れた兄でもあります。一洋氏による九州の魚を生かした宮崎ならではの鮨と、レストランサービスも経験した一光氏による型破りなサービス、そしてワインを含めたドリンクの提案で、爆発的に知名度を伸ばし、県外へ、そして海外へその名を轟かせつつあったさなかのことです。兄弟で盛り上げるカウンターの圧倒的なエンターテインメント性、あうんの呼吸が生み出すよどみのない時間、年々高まる味の完成度。その世界に魅了されてきたゲストらに話を聞けば、一洋氏の離脱には、やはりわずかな不安を抱いたといいます

エントランスから入ってすぐのウェイティングスペース。店内全体が、ゆったりとした贅沢な造りに
「『一心鮨 光洋』は、これまでのように、わざわざ足を運ぶ店ではなくなってしまうかもしれない」。一光氏自身も、そんな周囲のざわめきを感じ取ったといいます。 「不安がなかったわけではありません。でもそれは乗り越えるべき壁、いや成長のチャンスとさえ感じました。様々な要因で形が変わることがあっても、地域に、そして社会に必要とされる存在であり続けるのが、良き店だと考えたからです」と一光氏は話します。 逆境をはね返し、むしろ「それまで以上に」と一光氏を奮起させたものはいったい、何だったのでしょうか。

才気ぶつかり合う四兄弟時代。『一心鮨 光洋』エピソード1

一光氏。「末っ子の甘えん坊癖が抜けない」と話すが、そのキャラクターで、料理界の仲間や生産者たちに愛されている
一洋氏の独立は、一光氏が家業に入って二度目の転機でした。 「長男・一洋と2人で店を切り盛りしていた3年間は、確かに、広く、多くの方々に『一心鮨 光洋』の名を知って頂いた時期と重なります」と一光氏。 きっかけのひとつが、『高島屋』の九州物産催事でした。2016年春、一洋氏が『新宿高島屋』の催事にひとりで参加し、会期中全日、長蛇の列が絶えない人気ぶりで話題を呼びました。以降、大阪、名古屋を含めスタッフ総出での同催事への参加は、計10回を超えます。 「でも、本当の意味で今の店の地固めになったのは、それより前なんです。ドラマでいうところの“エピソード1”ですね」と一光氏は話します。

1年前に改装した個室「成」。和室だが、椅子に座って寛げるようになっている。法事や結納など、地元客のニーズが高い
一光氏には一洋氏の他にふたりの兄がいます。7歳年上の次男・一成氏と、2歳年上の三男・一樹氏。一光氏が横浜の高級イタリア料理店での修業を終え、宮崎に戻ってきた9年前は、一洋氏、一成氏のふたりが父・一高氏の下で働いていました。ところが、「さて、これからどうしていこうか」と、一光氏が軽い気持ちで家業に加わったその10日ほど後のことでした。一高氏が病に倒れ、ほどなくしてこの世を去ってしまうのです。 「父が残した店を、兄弟で力を合わせて守っていかなければ」。そう一光氏は思ったそうです。 そして、東京の有名鮨店で修業をしていた一樹氏も宮崎に戻り、『一心鮨 光洋』で働き始めます。それが一光氏のいうところの「エピソード1」、四兄弟時代の幕開けでした。 長男・一洋氏と三男・一樹氏が鮨職人、次男・一成氏が料理人で一光氏はサービスパーソン。『一心鮨 光洋』は新たに生まれ変わったのでした。

半個室。手入れの行き届いた中庭の緑に心癒される
「血を分けた兄弟が一致団結。しかも奇跡的なバランスで役割分担ができていて、一軒の店が成り立っている。今思えば粗削りな部分もあったけれど、ギラギラした勢いがあったし、このまま続けばどうなるのだろうという期待感は大きかった」と、当時を知る古くからの常連客は話します。宮崎に面白い鮨店がある。『一心鮨 光洋』が「知る人ぞ知る」存在として徐々に県外からも客を呼ぶようになったのはこの頃でした。 しかしながら、四兄弟時代は長く続きませんでした。皆若く、早くにこの世を去った父と残された母、そして『一心鮨 光洋』という店への想いがそれぞれに強くある。自分自身の仕事に、曲げられないプライドもある。多少の衝突はあっても、家族だから何とかなるのではないか。しかし、そんな周囲の期待も空しく、「血の通った兄弟だからこそ」の意見の対立が激化していったのです。

ふたりの息子を育てながら、チームの一員として一光氏を支える若女将の美貴氏と
結果、次男・一成氏と三男・一樹氏は、宮崎を離れ、二人で鹿児島市内に店を開きます。その店とは「鮨とつまみ」ではなく「鮨と日本料理」の両方を主役にした『名山きみや』。今や予約至難の人気店です。 「兄たちは兄たちで、宮崎ではない場所で『一心鮨 光洋』スピリッツを伝えていこうとしている。長男の一洋も今年の夏、福岡で『鮨料理 一高(いちたか)』という店を開業する予定です。四兄弟時代を懐かしんでくださるお客様もいらっしゃいますが、これがたどりついた私たちのやり方。様々な時代を経て、私は現在“エピソード3”に突入した店をきちんとした形で継承していくだけです」と一光氏は話します。

職人の力量、個性によらず、総合力で魅せる新しい鮨店に

空久保氏。一光氏にとってはもうひとりの兄のような存在。空久保氏の鮨を目当てに店に足を運ぶ古くからの常連客もいる
「鮨屋の評価は技術、人柄を含め“イコール親方の評価”であることがほとんど。でも、そうでない鮨屋があってもいいんじゃないかと。職人と料理人、サービススタッフがそれぞれ精いっぱいの仕事をしながら、総合力で勝負する。今、私たちはそのあり方を極めようと、日々、精進しています」と一光氏は言います。 現在、『一心鮨 光洋』には二人の鮨職人がいます。ひとりは空久保晴義氏。入店は25年前。先代の下で修業し、代替わりの際も、一洋氏を黒子として支えてきた熟練の職人です。今年32歳になる一光氏にとっては、物心ついた時から知る、親戚のような存在。店の歴史の重みと、宮崎の魚を知り尽くした空久保氏は、現在の『一心鮨 光洋』の屋台骨でもあり、味づくりはもちろん、チームの兄貴的な立ち位置として和やかな雰囲気づくりにもひと役買っています。 もうひとりが10年の長きにわたり、鮨の激戦区・大阪で研鑽を積み、故郷・宮崎に帰ってきた上村亮介氏。入店は5年前。一洋氏の下で少しずつ仕入れなどを担当するようになり、一洋氏の独立後、握りを任されるようになります。 「普段は本人の前でなかなか言えないけれど」と、前置きしつつ、一光氏は上村氏の細やかな仕事、味の精度に対する貪欲さへの信頼を口にします。 「入店から、親方であった一洋が去り、味の方向性を決めるのが職人ではない私になった。泣き言を聞いたことはありませんが、プレッシャーはどれほどであったかと」と一光氏。

空久保氏とともに店を支える上村氏は、一光氏と同世代。大阪の繁盛店での経験を、新生『一心鮨 光洋』の味づくりに生かす
一洋氏が試行錯誤の末に確立した『一心鮨 光洋』の味は、新旧の顧客から支持されていました。一洋氏が去った後も「店の味」としてその味を守っていくことができれば、十分「合格」と、評価されたことでしょう。しかしながら一光氏は、味を一から変えることを決断したのです。 「例えば、黒皮かぼちゃの煮汁で炊くシャリの味は、店の核ともいえるものでした。でも私はあえてふたりにたずねました。『どうしてもこのシャリでないとダメなのか』と。“自然な甘み”という魅力を残したまま、別のやり方でもっといいシャリがつくれないか。たどりついたのが今のはちみつを使ったシャリです」と一光氏は話します。 宮崎の味は魚だけにあらず。九州中のミツバチが集まる県北部・諸塚村(もろつかそん)で作られる「百花蜜」で宮崎を表現した酢飯は、保湿力が高いため、大箱でかつ一斉スタート制を採用していない『一心鮨 光洋』にとっては、開店から閉店まで、安定した良い状態の握りを提供するのに向いていました。合わせて魚の仕込みも一から見直しました。こうして新生『一心鮨 光洋』の味を一からつくり上げたのです。 サービスも刷新しました。経験豊かなソムリエ・野田泰隆氏をチームに迎え入れたことで、ワインの提案により幅が生まれました。一光氏の妻・美貴氏は、若女将として店の要となりつつあります。 「そもそも、うちのような大きな店はひとりの親方の采配では目が行き届かない。充実した仕事ができた喜びも、浮上する課題点も全員で共有し、サービスを充実させ、味だけでなく、お客様に心からご満足頂ける店をつくっていきたい」と一光氏は言います。 カウンター12席、他5室の個室を含めて50の席がある大箱の鮨店。それが『一心鮨 光洋』が導き出した答えだったのです。 「エピソード3」は、まだスタートしたばかり。しかしながらスタッフ間の風通しの良い雰囲気が、和やかな新時代のカラーをつくりつつあります。
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