他に類を見ない石煉瓦積みの廃屋。そのテクスチャーに封印されていた風雪の中の暮らしの記憶。[青い星通信社/北海道中川郡美深町] by ONESTORY
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他に類を見ない石煉瓦積みの廃屋。そのテクスチャーに封印されていた風雪の中の暮らしの記憶。[青い星通信社/北海道中川郡美深町] by ONESTORY

「日本に眠る愉しみをもっと。」をコンセプトに47都道府県に潜む「ONE=1ヵ所」の 「ジャパン クリエイティヴ」を特集するメディア「ONESTORY」から北海道中川郡美深町の「青い星通信社」を紹介します。

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美深(びふか)町——「美しく深い町」という、どこかリリカルな名を持つ町が、北海道の北部にあります。北海道の中心である旭川市と北端である稚内市の、ちょうど中間地点。面積は東京23区全てを合わせたよりもやや広く、対して人口は東京ドームの収容人員の1/10にも満たないという、道北の田舎町です。豪雪地帯対策特別措置法における特別豪雪地帯に指定され、1931年(昭和6年)には日本の気象観測の歴史における最低気温の記録となっているマイナス41.5℃を計測した、豪雪•極寒の地でもあります。 この町の名前をご存じの方がいらっしゃるとするなら、その方はもしかしたらかなりの村上春樹ファンかもしれません。というのも美深町は、村上春樹初期の代表的な長編小説『羊をめぐる冒険』の舞台である架空の町「十二滝町」のモデルではないか、といわれている土地だからです。「札幌から道のりにして二六〇キロの地点」にあたり、「大規模稲作北限地」であるなど、小説に現れる記述とさまざまな点で符合します。小説では主人公は「全国で三位の赤字線」の列車に乗って目的地に到着しますが、美深町にはかつて、「全国一の赤字線」と呼ばれた旧国鉄美幸線(びこうせん)が走っていました(『羊をめぐる冒険』が発表された3年後の1985年に廃線となったそうです)。 そんな美深町の町はずれにこの6月、一軒のホテルがオープンしました。客室数はわずかに3。スタッフもオーナーとパートナーのふたりだけという、それはささやかなホテルです。掲げたコンセプトは「草原の中の書斎」。二棟の石煉瓦造りの建物をつなげた構造の館内は、そのうちの一棟がまるまるライブラリー・ラウンジにあてられ、ゲストは書物たちのささやき声が聴こえるようなその空間で、食事を味わったり酒を楽しんだり。そこはいわば、物語が生まれた地で物語の空気を実感するための場所なのだそうです。しかし、こんな過疎の町の、それも町はずれの草原の中にあるホテルに、本当にゲストはやって来るのでしょうか? それを確かめようと、『ONESTORY』はその小さなホテル『TOURIST HOME & LIBRARY 青い星通信社』を訪ねてみました。そこで見た意外性に満ちたシーンの数々を、ここではご紹介したいと思います。 ちなみに「美深町」という町の名前。実は「石の多い場所」という意味のアイヌ語である「ピウカ」という言葉に、この文字をあててつけられたのだそうです。かつては宗谷本線美深駅の駅名標にも「美深」という漢字の下に「ぴうか」という読み仮名が振られていたといいますから、つまりは石ばかりの、『羊をめぐる冒険』の十二滝町のように開拓には不向きな土地だったということなのでしょう。詩情の裏には、この厳しい環境の地に生きた人々の苦労の記憶が秘められているのかもしれません。

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長い眠りについていた建物に、再び灯をともすという夢。

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写真左手を流れるのが日本で4番目に長い川である天塩川。釣り愛好家にも最高のロケーション。

『TOURIST HOME & LIBRARY 青い星通信社』(以下、青い星通信社)の建物は、実は新たに建てられたものではありません。もともとは美深町の町はずれの草原になかば置き忘れられたように建っていた、いわば「廃屋」でした。 建てられてから優に半世紀以上は経過しているはずという、南北に並んだ二棟続きのこの廃屋を渡り廊下で結び、半年以上に及ぶ徹底的なリノベーション工事を施し、そうしてホテルとして転生させたのが、『青い星通信社』の建物なのです。

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写真右手にはJR宗谷本線の線路が走り、一両だけのディーゼル車が汽笛の響きを残して通り過ぎてゆく。

このリノベーション工事の設計•監理を担当したのが、札幌市を拠点に住宅などのプロジェクトを数多く手がけている『三木佐藤アーキ』の佐藤 圭氏です。佐藤氏は設計事務所『みかんぐみ』出身の気鋭の建築家で、『みかんぐみ』在籍時には日本建築界の最高峰の賞である日本建築学会賞(業績部門)を受賞した『マーチエキュート神田万世橋』プロジェクトの実務面を支えた存在です。

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建物のすぐわきには白樺の木立。美しい緑の葉が風に揺れ、ライブラリー・ラウンジの床にまで繊細な影絵を描く。

大都市・東京の真ん中と過疎の町・美深の町はずれ、壮大な元駅舎と平屋の元住居、さらに大規模な商業施設への再生とささやかなホテルへの改修という、まったく対照的な案件ではありましたが、長く使われていなかった煉瓦積みの建築に新しい生命を吹き込むというその一点では、「『マーチエキュート神田万世橋』と『青い星通信社』は見事にシンクロしました」と佐藤氏は言います。そして長期にわたり積極的には活用されてこなかった駅舎の遺構をモダンな空間としてよみがえらせた経験は、草原の中で長く眠りについていた石積みの民家を親密感に満ちた「草原の書斎」に生まれ変わらせるという『青い星通信社』のプロジェクトにおいても十分に生かされています。

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北の地への旅人を迎える、陰影を宿した石壁のポエジー。

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残された石煉瓦積みの内壁。漆喰を剥がした際にできた槌跡による凹凸が陰影を描き出す。

ホテルのエントランスはあえて、建物へのアプローチとなる道路から遠い北棟に設けられていて、ゲストは石壁づたいに建物の奥へと回り込む形になります。そして茫漠と広がる草原に面したドアを開くと、そこにまず現れるのは600冊ほどの書物を収めた書架がしつらえられたライブラリー・ラウンジです。

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ライブラリー・ラウンジの中には書棚をくり抜いたような空間に置かれた居心地いいソファも。

実はリノベーション工事のさなか、この建物に関して意外な「発見」があったそうです。長らく使われていなかった古い住戸の内部をいったん解体することから工事は始められたのですが、ごく一般的な漆喰壁に見えた内壁のいくつかは、外壁と同じ石壁を中に隠していたのです。豪雪が積もる屋根の荷重を、石煉瓦を丁寧に積み上げたこの壁が建物の外周だけでなく内部にまで複雑に入り込むことで、支えてきたのでしょう。『青い星通信社』のライブラリー・ラウンジは、そうした壁面の漆喰を丁寧に剥がし、覆われていた石壁を目覚めさせることで、書物一冊一冊と石煉瓦の一つひとつとがささやき交わすような、独特な詩情を宿した空間として転生することができたのです。

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美深町が舞台のモデルともいわれる『羊をめぐる冒険』など、書棚には村上春樹の小説の数々も並ぶ。

ライブラリー・ラウンジは夕食・朝食時にはダイニングとして、また夜にはバーとして、宿泊するゲストを迎えています。ゲストは照明の中で微妙な陰影を浮かび上がらせた石壁が支える空間で、食事を味わい、酒を楽しむのです。この石壁があったからこそ、建物は雪に押しつぶされることもなく生きながらえ、そしていま、ホテルとして多くの人と出会える。極寒の地の暮らしの記憶が、この壁には封じ込められています。その物語の中で時間を過ごすことができる旅人たちは、やはり幸運なのだろうと思えてくるのです。

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かつてこの建物が造られる理由ともなった山の頂に残された通信塔の影が窓から見られる。

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「旅先から手紙を書くための小部屋」が、石壁の中にひっそりと潜んでいる。

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まるで星座をかたどったかのような球形の光源が中空を浮遊するライブラリー・ラウンジ。

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ダイニングとバーを兼ねるラウンジでは、薪ストーブの炎が何かを静かに語りかけるように揺れる。

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石壁の向こうに潜んだ親密な空間で、ただ風の歌を聴く。

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ツインタイプのゲストルーム「水脈」。窓辺のソファは読書するにはうってつけの場所。

エントランスがある北棟から渡り廊下を進み、石壁にうがたれた異界への抜け穴めいた入り口をくぐると、そこは3室のゲストルームから構成される南棟です。一棟がまるごと開放的なライブラリー・ラウンジにあてられていた北棟からは一転し、親密感に満ちたプライベートな空間がそこには形作られています。

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ダブルタイプのゲストルームである「火影」。ベッドから目を上げると正面の壁には大きな写真作品が飾られている。

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「火影」にはワークスペースとしても使えるカウンターが。館内はもちろんWi-Fi完備。

「水脈(みお)」「火影(ほかげ)」「風笛(かざぶえ)」と名付けられた3室のドアにはそれぞれ、その名とシンクロするような風景写真が埋め込まれています。これは2008年に木村伊兵衛賞を受賞した気鋭の写真家である岡田 敦氏の手になるオリジナルプリント。その繊細な表現は、ドアを開いた先に流れている道北の時間の美しさを静かに予告しているかのようでもあります。

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窓から列車が見えるゲストルーム「風笛」。今まさに宗谷本線の特急が日本の最北を目指して走り過ぎてゆく。

明るい窓辺に置かれたソファが安らいだ空気を演出する「水脈」、岡田敦氏のより大迫力の作品が語りかけてくる「火影」、窓から牧歌的な宗谷本線のディーゼル車の姿を眺められる「風笛」と、3室はそれぞれに個性が際立っていて、リピートするゲストも少なからず生まれそう。各室ともレインシャワー付きのシャワーユニットが備えられ、空気清浄機能もあるダイソンの冷温風機も置かれています。

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「風笛」には畳が敷かれた「小上がり」もあり、シャワー上がりに寝転ぶのに最適とゲストからも好評。

ゲストルームにテレビは置かれていません。音を発するものといえば、ブルートゥースの小型スピーカーがあるばかり。しかし、それで十分なのでしょう。通り過ぎていくディーゼル車の高く澄んだ汽笛の響きと、白樺の木立を吹き抜ける風が立てる葉擦れの音、そして何事かを語り合うかのように鳴き交わす鳥の声。それらが時折、栞(しおり)のように差し込まれる静寂の物語は、それだけで十分に美しく深いのですから。

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まるで異界への通路のような渡り廊下。並んで建っていた二軒の廃屋を、新しく造られたこの廊下が結ぶ。

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渡り廊下の南棟入り口の上の電灯。かつて北海道内で使われていた古い街灯の笠を再利用している。

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一瞬の邂逅の舞台となる、無重力空間のような場所。

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三角帽子が印象的な赤煉瓦の煙突。ラウンジの薪ストーブに火が入ると、静かに白い煙を立ち上らせる。

「例えて言えば、人工衛星みたいな空間を、この訪れる人もない置き忘れられた草原の中に造ってみたいと思った……」。 『青い星通信社』オーナーの星野智之氏はそう言いました。 窓の外には自分たちが暮らしている青い地球が見えるけれど、でも地球の重力からは解放されている人工衛星の中にいるように、『青い星通信社』の館内は日常の重力から解き放たれる場所でありたいと。

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外壁に取りつけられた看板。サインなどのデザインはアートディレクターの堀康太郎氏が手がけた。

思えば、「上」とか「下」とかいう感覚は、重力があるからこそ生まれます。日常の重力圏内にあっては、人は年齢とか社会的地位とか、あるいは年収とかといった属性によってランク分けされてしまうことも少なくありません。でも、この小さなホテルの中では、訪れたゲストの間にはどんな階層も生まれません。ゲストルームは広さも設備もほぼ同じ、料金の違いもありません。料理も連泊のゲストを除けば同じメニュー。ワインのラインナップはニューワールドで固められ、1本1万円を超えるようなボトルは用意されておらず、挽きたての珈琲は誰でもが自由に何杯でも味わうことができます。この『青い星通信社』を訪れるゲストにあるのはただ、本が好き(村上春樹の小説の舞台といわれています)とか、鉄道が好き(目と鼻の先を宗谷本線のディーゼル車が走っていきます)とか、釣りが好き(敷地のすぐ脇を天塩川がゆったりと流れます)とか、そんな個人としての純粋な趣味や興味だけです。

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古材を使って造られたエントランスの夜の表情。ドアの把手は農家で使われていた古い脱穀機の部材だそう。

「彼らは孤独な金属の塊として、さえぎるものもない宇宙の暗黒の中でふとめぐり会い、すれ違い、そして永遠に別れていくのだ。かわす言葉もなく、結ぶ約束もなく。」……。 村上春樹は小説『スプートニクの恋人』の中で、成層圏の遥か上空を行き交う人工衛星のことをこう表現しました。そしてそれはおそらく、私たち自身の姿でもあるのでしょう。それでいい、とここでは思えます。北の地に惹かれた旅人たちがふと巡り会い、すれ違っていく場所。そんな本当にささやかな人工衛星のようなホテルにあっては。 夜、草原に面したドアを出て、外から『青い星通信社』を眺めてみました。闇の中で石煉瓦積みの建物は確かに、宇宙に浮かぶ人工衛星のように光って見えました。

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TOURIST HOME & LIBRARY 青い星通信社

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北海道 中川郡美深町紋穂内108

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