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2014.11.07
鹿児島・400年以上の歴史を持つ薩摩焼のふるさと、美山の窯元祭りへ
連載「暮らしと、旅と...」みっつめの旅先は、鹿児島。11月1日から3日にかけて鹿児島県日置市東市来町の美山地区で行われていた「美山窯元祭り」に出かけてきました。400年以上続く薩摩焼発祥の地へは鹿児島市内から電車とバスを乗り継いで早ければ40分、遅くても待ち合わせをあわせて1時間以内で行くことができます。町から森へ、そしてどんどん秋の里山へと車窓の景色が変わりゆくのを眺めていると、美しい山と名付けられたエリアはいったいどんな場所なんだろうと、わくわく胸が高鳴ります。
JR鹿児島中央駅から電車に揺られること約20分。ガタゴトと緑に吸い込まれるように山をふたつみっつ越えて、美山の最寄り駅、東市来(ひがしいちき)駅に着きました。美山への旅の足はいつもならばレンタカーが便利なのですが、窯元祭り中は車が混むかもしれないと現地の方からアドバイスをもらい、電車とバスを乗り継いで行きました。ちょうどいい時間にバスがなくてもタクシーなら東市来駅から美山まで900円程度で行けるとのことで、駅から降りた人とご一緒するのもいいかなと声をかけたところ...
あっさりと断られました。なぜなら、皆さん足下はしっかりとしたウォーキングシューズにリュックを背負い、山歩きのような装備。どうやら、私は声をかける人たちを間違えてしまったようです。ちょうど良いタイミングでバスが来たので乗車。美山まで片道2キロほどの道のりをどんどん上っていきます。陶器の産地は傾斜地にあるところが多いのですが、美山も同じく。元気に歩いているみなさんを横目に、へなちょこな私はバスで通り過ぎてしまったのでありました。 美山に着くと、まだ9:30だというのにたくさんの人が歩いていました。各窯元で販売される器がふだんよりも2割も安くなるうえにお買い得品も出回るから、できるだけ多くの窯元を回ろうとみなさん躍起のご様子。私は、以前、美山を代表する名窯、沈壽官窯が東京のランドスケーププロダクツと共同制作したCHIN JUKAN POTTERYの薩摩焼を手に入れたこともあり、本場の薩摩焼に興味津々です。 案内所で地図を入手するときに 「登り窯パン工房で焼いている米粉パンがそろそろ焼き上がっているわよ、先にそちらに行ったらどうかしら」と係の方が一言。 共同登り窯に行ってみると、ちょうどパンが焼き上がったばかり。香ばしいにおいとともに黒薩摩の湯のみ茶碗の中に入ったパンが窯から出てきました。
「ここの近くで作った米粉100%で作っているグルテンフリーのパンなんだよ」。 そう教えてくれたのは、写真一番左のチェックのシャツを着た方。なんと、「十五代」と呼ばれ、周囲に親しまれている十五代沈壽官氏でした。今年で29回目を迎える美山窯祭りですが、登り窯でのパン作りは5年目。窯元祭り25回目の記念にパン窯を作ろうということで始まったプロジェクトが途中で頓挫し、考えに考えて「あるもので何かをやろう!」と共同の登り窯でパンを焼くことになったのだとか。パンが美味しいことで定評のある城山観光ホテルのシェフに声をかけ、パティシエ志望の学生たちと一緒に100%米粉だけで作れるパンを焼いています。 「当初は黒煙が出てすすがパンについてしまい、失敗ばかり。薪の種類をいろいろ試し、最終的には目の詰まった堅いユスの木に決まったんだよ」。ふだんは1000℃以上の高温になる窯の温度を調整するのは、陶工の腕の見せどころとばかりに程よく温度調整をした窯。焼きたてのパンは、伝統的な薩摩の湯のみの中でふわっと膨れてとても可愛らしいビジュアルです。焼きたてをひとつ買って食べてみると、外側はカリッとしているのに中はもちもちのお餅みたい!餅とパウンドケーキの間のような不思議な食感でした。もちろん、午後には行列ができるだけあって味は保証します。 美山の顔、ともいえる十五代沈壽官氏にのっけからお会いしたところで、沈壽官窯へ。先代の十四代は、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」の主人公でも知られており、美山を訪れる人の多くがお目当てとする薩摩焼を代表する窯です。今から400年以上も前、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した島津義弘公が、朝鮮から連れ帰った特殊技能を持つ人たちのうちの陶工らが土を求めてたどり着いた美山に窯を開き、薩摩焼が始まりました。薩摩焼には大きく分けて白薩摩(白もん)、黒薩摩(黒もん)の2種類があり、白薩摩は貫入という表面に見える細かなヒビが特徴で、美しく精緻な手仕事により、長く芸術品として扱われてきました。敷地内にある沈家伝世品収蔵庫には十五代の華やかな透かし彫りの作品が飾られており、バンダナを巻いてパンを焼いていた方がこんな繊細な作品を作られるとは!と驚いてしまいます。 白薩摩は、パリやウィーンの万博で評価が集まって知られるようになったことから「SATSUMA」と呼ばれ、欧米では人気の高い芸術品です。反対に、黒薩摩は暮らしのための器。2000円前後で買えるものもあり、売店では白と黒、どれにしようか迷ってしまいました。
写真の白薩摩マグネットは祭り期間のみ販売の限定品。かつては島津の殿様のみに許された白薩摩も、現代になればまだまだ値は張るものの、手に入れることが可能になりました。他の窯元で見かけた白薩摩はぽってりとした器にコスモスが一輪描かれたもので、これもまた全く違う風情があり、他地域の焼き物にも見えて「これが白薩摩である」という定義はどこの場所で聞いても厳密ではないようです。 現在は昔のように豊富に土がとれないことから、陶土は他地域からのものが主流になっています。以前、「美山で焼かれたものが、すなわち薩摩焼である」と十五代が発言したことがあるそうですが、現在は美山の土で薩摩焼を焼くべく働きかけているのだとか。韓半島から海を渡り、言葉がわからないなりに焼き物にふさわしい土をこの地で発見した先祖たちの偉業にならって薩摩焼を作ることを復活させよう、と。 さて、窯元をいくつか回ろうと地図を眺めていたら、現地のスケール感がなんとなく把握できてきました。どこに行けばいいのか焦点を絞れていない私は、この期間だけ開催されるイベントに参加したほうが得策と作戦変更。幸いにも、祭りの行われた週は金曜いっぱいまでディスカウント価格で器が販売されるので、また戻ってくることにして...ということで「薩摩焼体験」と「キムチ作り」に挑戦してみました。 美山に窯を持つ陶工にロクロ回しを指導してもらうつもりが、成形のほとんどを助けてもらい、1900円の体験代でほぼオーダーメイド状態の黒薩摩の器が完成。これも祭りならではの贅沢な体験です。12月中旬に自宅に届く予定なのですが、どんな色になるのかはお任せです。最後の仕上げがわからないというところで、自分宛に出したクリスマスプレゼントのような気がして心が躍りました。地元の公民館にある美山食堂でのキムチ作りは鹿児島市内からも在住の韓国人が参加して本場のオモニのキムチ作りを疑似体験させてもらえます。韓国に縁の深い土地だからこその貴重な体験。無添加の手作りキムチは帰った頃に食べておいしいとのお墨付きです。においをさせないようにどうやって持ち帰ろう!?
散策中に見つけた盆栽や小さな白薩摩のお椀を買ってしまったら両手が塞がってしまいました。たくさん歩くだろうと軽装備で行ったというのに、荷物を抱えたらへとへとになり、結局は目指していた1万歩にはかなわずに、バスに乗って市内まで帰りました。 冒頭のウォーキングシューズのおばさま方はどれくらい歩いたのでしょうか。美山の情報発信サイトを運営する女性いわく、「美山には、特に歩くのを目的にいらっしゃる方が多いですよね」。ななな、なんと!タクシーの同乗を断られるはずです。美山は窯と窯をめぐる間にある自然を楽しむのが醍醐味の模様。なので、どうやら静かな日常のムードを気に入っている美山ファンが多そうです。 次回は、竹林に囲まれた風情のある路地を歩いたり、雨の日にひとりで美山の雨を眺めにカフェに行ったり...そんな感性の持ち主たちが集まった美山の情報サイトユニット「クラフトマンビレッジ美山」による「クラフトマンビレッジ美山的1日美山案内」をお届けします。窯元祭りが終わった美山はどんな雰囲気なのでしょうか。お楽しみに。
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美山窯元祭り
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