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2025.09.18
9/12-12/21|日本初公開の4通の手紙も!ファミリーヒストリーからたどる「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」レポート
東京都美術館で開催中の「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」は、ファン・ゴッホ家のファミリー・コレクションに焦点をあてた新しいテーマの展覧会。 今まで数多くの展覧会が開催されましたが、今回のテーマから「家族がつないできたからこそ、今私たちがゴッホの作品に出会える」という奇跡に思いを馳せながら、展覧会のみどころをレポートします。フィンセント・ファン・ゴッホの作品30点以上に加え、日本初公開のフィンセントの4通の手紙や、幅14メートルを超えるイマーシブ・コーナーなどみどころも盛りだくさん。
家族がつないだ夢に焦点を当てた、日本初の展覧会

第1章「ファン・ゴッホ家のコレクションからファン・ゴッホ美術館へ」展示風景
会場に入ると、まず家族の歩みをたどる年表が目に入ります。写真付きで、フィンセントや弟のテオ、テオの妻ヨー、フィンセント・ウィレムら家族が紹介され、第1章から展覧会の物語に引き込まれます。 フィンセントの才能を最初に支えたのは弟のテオ。兄の死から半年後にテオも病に侵され亡くなりますが、妻のヨーが膨大な作品を守り抜き、正しく評価されるよう尽力しました。その後、息子フィンセント・ウィレムが想いを受け継ぎ、コレクションを未来へとつないでいきます。
フィンセントとテオ兄弟が築いた、珠玉のコレクション

第2章「フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟のコレクション」展示風景
次の第2章「フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟のコレクション」では、貴重な2人のコレクションが並びます。 こちらのエリアでは画家としてのフィンセントの軌跡と、弟テオとの固い絆が感じられます。若くして美術商として働いた2人は、互いの芸術への情熱を刺激し合い、そのことがフィンセントが画家を目指すきっかけとなったかもしれません。 パリで勤務していたテオは、エドゥアール・マネやアルマン・ギヨマンなど同時代の画家の作品を熱心に集めており、フィンセントの芸術をより深く理解し支えようとする姿勢が伝わってきます。

ポール・ゴーガン《雪のパリ》1894年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
フィンセントは、ポール・ゴーガンやエミール・ベルナールをはじめ、前衛的な芸術家たちとの交流を深めます。自身の作品と引き換えに彼らの作品を手に入れることもあったのだそう。こうした交流から、フィンセントが芸術家仲間から画家として認知され、作品が評価されていたこともわかります。

エルネスト・クォスト 《タチアオイの咲く庭》 1886-90年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
さらにこちらのエリアでは、フィンセントが多くのインスピレーションを得ていた、新聞に掲載された「挿絵版画」や「浮世絵コレクション」も紹介。会場では作品に息づく多様な源泉として紹介されています。この後のフィンセントの作品にどのような影響があったのか、さまざまな想いを馳せながら鑑賞するのおすすめです。
時系列でたどる、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描
27歳で画家になることを決意してからの10年間、フィンセントは多くの作品を残しました。会場では時系列に沿って制作地とともにたどることで、彼の画風の変化や成長も実感できます。 画家として歩み始めたフィンセントはオランダで素描を重ね、やがて油彩に挑戦するようになっていきます。

フィンセント・ファン・ゴッホ ニューネン時代の展示風景

フィンセント・ファン・ゴッホ 《小屋》1885年5月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
1885年にオランダ・ニューネンで手がけた《小屋》は、農村の暮らしを象徴するわらぶき屋根を題材にした重要作。このモチーフはのちのサン=レミ時代の作品にも登場し、彼の心に深く刻まれていたことがうかがえます。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》1886年8-9月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
1886年初めにパリに移り住むと、印象派や新しい芸術運動に触れ、自らの表現を刷新。鮮やかな色彩と力強い筆づかいで、独自のスタイルを築き上げていきます。

第3章「フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描」展示風景
今回のメインビジュアルにもなっている《画家としての自画像》は、パリ時代に描かれた作品の1つ。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《画家としての自画像》 1887年12月-1888年2月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
力強い筆づかいと鮮やかな色彩からは、挑戦を続ける芸術家としての気迫が伝わってきます。ヨーは「出会った頃のフィンセントに似ていて、思ったより健康的に見えた」と回想しており、その言葉からも当時の姿をうかがうことができます。 わずか2年のパリ滞在で、伝統的な画家から新しい表現を切りひらく存在へと成長したことを物語る1枚です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》1888年11月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
1888年2月には南仏へ。アルルで1年3ヶ月、サン=レミの療養院で1年を過ごします。 アルルでは、同じ画家仲間のポール・ゴーギャンと一時期共同生活を送りましたが、精神的に不安定な状態も重なり、やがて療養を必要とするようになります。 その南仏アルル時代に描かれた代表作のひとつがこの《種まく人》。 大地に種をまく姿には、働く人々の存在を伝えたいというフィンセントのまなざしが込められています。浮世絵からの影響を感じさせる大胆な構図や色彩は、それまでの西洋美術にはなかった新しさを感じさせ、彼の表現が大きく広がっていったことを物語ります。
1890年5月には、南仏の街アルルを離れ25km東に位置する都市サン=レミ=ド=プロヴァンスの療養院に自ら入院。療養中、地中海沿いのまぶしい光と色彩に感動したフィンセントは、糸杉やオリーブなど身近な風景を数点描きました。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《オリーブ園》 1889年11月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
こちらの《オリーブ園》は、様式化、装飾化がみごとに融合しており、キラキラと輝く空を細かな筆づかいで表現し、リズミカルに並ぶオリーブの木々が湿気のないさわやかな朝の空気を思わせます。ぜひいろんな角度から筆や絵の具の質感、描いた時の感情をなどを読み取ってみてください。

フィンセント・ファン・ゴッホ 左:《麦の穂》 1890年6月、《農家》1890年5-6月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
1890年5月、フィンセントはオーヴェール=シュル=オワーズに移り住み、亡くなる7月までの約2ヶ月間、制作を続けました。 この地で数々の傑作を残したフィンセントでしたが、深い憂鬱に襲われ自ら命を断つことに。わずか10年という短い制作期間に900点を超える絵画とおよそ1100点の素描を生み出しました。 現在その多くはアムステルダムのファン・ゴッホ美術館に所蔵され、世界最大規模のコレクションとして守られています。時系列で歩みをたどれるのも、家族が作品を大切に受け継いできたからこそ。
手紙や収集品から見える、画家の素顔

テオ・ファン・ゴッホ、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル 『テオ・ファン・ゴッホとヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルの会計簿』 1889年〜1925年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
フィンセントの死の半年後、弟のテオも病死。妻のヨーは夫のテオの意志を継ぎ、「フィンセントの絵を世の中に伝えること」を自らの使命としました。もともとは家計簿のように始まった帳簿には、次第に作品の売却の記録が残されていきます。その几帳面な記録からは、ヨーが意志をもってフィンセントの絵を広めようとした姿が浮かび上がります。

第4章「ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが 売却した絵画」展示風景。会場では、実際に売却された作品3点も展覧できる
やがて1905年には480点以上を集めた大規模な回顧展を開催し、1914年にはテオ宛の膨大な手紙を整理して書簡集を刊行。1891年4月から1925年9月までに約250点のファン・ゴッホ作品が売却されています。 1924年には《ヒマワリ》をロンドンのナショナル・ギャラリーに収蔵。権威ある美術館で紹介することで国際的な評価を高めていきました。 兄の才能を信じたテオの思いを受け継ぎ、フィンセントの芸術を未来へとつないでいったヨーの尽力が、今につながっていることがわかります。さらに息子フィンセント・ウィレムもその歩みを後押しし、フィンセント・ファン・ゴッホ財団が設立されました。

第5章「コレクションの充実 作品収集」展示風景
最後の章では、フィンセント・ファン・ゴッホ財団が長年にわたり収集を続けてきたコレクションにも注目。日本初公開となるフィンセントの直筆による4通の手紙が並ぶのも大きなみどころです。 なかでも目をひくのが、アントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙。フィンセントがブリュッセルで出会った先輩画家に宛てて書いたもので、傘を持つ老人の後ろ姿が描かれています。ゴッホの手紙は質の悪い紙や色あせやすいインクが使われているため、実物が公開されることはめったにありません。今回の展示は、その貴重な姿を間近で見ることができる特別な機会となっています。

「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」 1882年9月23日頃 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
幅14メートルの大画面で体感、イマーシブ・コーナーでゴッホの世界に入り込む

フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くアーモンドの木の枝》イマーシブ・コーナー会場風景
展覧会のラストは、幅14メートルを超える大画面を使ったイマーシブ・コーナーが登場します。甥のフィンセント・ウィレムの誕生を記念して贈った絵画《花咲くアーモンドの木の枝》や《カラスのいる麦畑》などの代表作が高精細映像で映し出されます。 まるで絵画の中に足を踏み入れたような感覚で、ゴッホの筆づかいや絵の具の質感をじっくり体感できますよ。

フィンセント・ファン・ゴッホ《カラスのいる麦畑》イマーシブ・コーナー会場風景
展覧会の余韻をたのしめる、特設ショップは必見!

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」特設ショップ風景
展覧会を存分にたのしんだ後は、その余韻を味わえるバラエティー豊かなグッズコーナーへ。

左上:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」特設ショップ風景、右上:サンエックスキャラクターズぬいぐるみ各種、左下:イラストレーター・WALNUTさんとのコラボグッズ、右下:ファン・ゴッホ美術館コラボグッズ「SKETCH!」
サンエックスキャラクターズとのコラボデザインに登場するぬいぐるみや、イラストレーター・WALNUTさんとのコラボグッズ、ファン・ゴッホ美術館コラボグッズ「SKETCH!」など、この展覧会ならではの多彩なラインナップが揃います。

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」特設ショップ風景

左上・右上:青山デカーボひまわり缶 (税込1350円)、左下:Handmade Crochet Vincent doll new design(税込9350円)、右下:ジャストダッチ各種(税込9350円)
会場限定グッズも盛りだくさん。世代を問わずたのしめるラインナップは、おみやげや記念にもぴったり。お気に入りを探すひとときも、展覧会をたのしむ時間のひとつです。 東京都美術館で開催中の「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」の会期は、2025年12月21日(日)まで。ぜひ会場で体感してみてください。

ソファに座るフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ、ファン・ゴッホ美術館にて 1973年 第4章「ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが 売却した絵画」展示風景より
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
ゴッホテン カゾクガツナイダガカノユメ
台東区上野公園8−36 東京都美術館
050-5541-8600
問い合わせ(ハローダイヤル)
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モリサワ ジュンコ
Writer
物撮り写真家 モリサワ ジュンコ

魅力あふれるモノゴトをインスピレーションとともにお伝えします。デザインやアート、建築が好き
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