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2013.11.01
京都人もほとんど知らない・・・、『源氏物語』を執筆した紫式部の墓所へ
物語文学の最高峰と称される『源氏物語』を執筆した紫式部。その偉大なる足跡からは想像もできない、京都・洛北の路地奥に静かに眠る紫式部の墓を訪ねてみました。
京都・洛北で静かに眠る紫式部の墓所へ

平安中期の女流作家・歌人として知られる紫式部は、物語文化の最高峰とされる『源氏物語』を執筆したことでもその名を歴史に刻んでいます。 現在、紫式部の墓は京都・洛北の地にあり、地下鉄・北大路駅から北大路通を西へ10分ほど歩き、大きな堀川北大路の交差点を南へ曲がると、堀川通の西側に島津製作所・紫野工場の壁が続き、その壁が途切れたところに“紫式部墓所”と刻まれた茶色の石碑がひっそりと立っています。

“ムラサキシキブ”と呼ばれる植物は、夏に可憐な淡紅紫色の花を咲かせ、秋になると美しい濃紫色の実をつけることから、その清楚で優美な実が紫式部の美しさと重ね合わせられて、いつしか“ムラサキシキブ”と呼ばれるようになったと伝えられています。 紫式部の墓の入り口に立つ茶色の石碑には、毎年秋になると“ムラサキシキブ”の濃紫色の実が彩りを添えて、かつての美しき女性・紫式部を偲んでいます。
天皇ゆかりの紫野に眠る紫式部

紫式部の墓が残るこの辺りの地名を“紫野(むらさきの)”といい、かつて平安京の北に位置する天皇ゆかりの地で、高貴な紫色の草花が彩る野原であったことから“紫野”と名付けられたとも。 紫野には平安初期、淳和天皇の離宮・雲林亭(うんりんてい)が営まれ、桜や紅葉の名所として『源氏物語』や『大鏡』にも登場し、一説には紫式部はここで余生を過ごしたことから紫野に墓が作られ、紫式部の“紫”は紫野に由来しているとも伝えられています。 とにもかくにも、千年の歴史を越えて読み継がれる『源氏物語』の筆者として愛され続ける紫式部の墓には、一年中、地元の人や熱烈な源氏物語ファンによって美しい花が供えられています。

紫式部の墓所
むらさきしきぶのぼしょ
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若村亮
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