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2014.12.23
町家の美術館と呼ばれる「紫織庵」へ
京の風情と伝統を感じる町家は、時代とともにさまざまな形があります。例えば、大正時代には、高い塀が取り囲む「大塀造り」の町家が登場し、外から見ただけでは感じられない、贅を尽くした空間に圧倒されます。その代表が「紫織庵」です。
芸術性の高い純和風建築

阪急烏丸駅24番出口から北西へ徒歩10分ほど歩くと「紫織庵」があります。屋号の由来は、茶室の名前からです。すっと伸びた北山杉の柱と2段になっている雲雀棚が印象的な4畳半の小さな空間は、この町家の和室部分を担当した京数寄屋造りの名工と呼ばれる上坂浅次郎による、なかなか貴重なものです。 ほかに、あわせて27畳もある母屋1階の客間と仏間は格式が高い部屋としてお客様を迎えてきました。この2つの部屋の境となる欄間は、日本画家・竹内栖鳳の作です。東山三十六峰をモチーフに、桐の一枚板で彫刻された贅沢極まりないものの一つに数えられます。
和風の中に洋風を巧みに取り入れた建築

実は、この町家を訪れた誰もが違和感を抱くことがあります。エントランスから木の引き戸をあけて路地を進むと、町家なのにタイル張りの洋館が現れることです。見学の始まりは、この洋館の部屋。純和風の畳敷き玄関から寄木張りの床へと変わり、天井が一段高く折れあがる豪天井や大理石の暖炉など、レトロな西洋空間が広がります。文明開化以降、近代になってからの和洋折衷な町家は、京都人の洒落た感覚を表しています。 設計者は、京都市役所本館設計でも知られる武田五一です。近代建築の父と呼ばれるこの名建築家はもう一つ、母屋2階にある20畳の洋間も手がけています。ステンドグラスやシャンデリアを配し、グランドピアノが置かれ、昭和初期には毎夜パーティが行われていたといいます。

変化しながら受け継がれる京文化

「紫織庵」は、高い塀を設えた敷地240坪に、茶室、洋館、玄関棟、2階建て母屋、便所、浴室、2棟の蔵からなる、かなりの豪邸です。 そもそもこの町家は、江戸後期に名医と呼ばれた荻野元凱が初めて医院を開業したことに始まります。そして、1926(大正15)年に豪商の4代目井上利助が、萩野元凱時代そのままに、モダンな西洋空間を加えて新築しました。その後、じゅばんを中心に絹織物製造卸などを行う川崎家が受け継ぎ、1965(昭和40)年から約30年間は本宅兼迎賓館として使用し、現在は「京のじゅばんと町家の美術館」として一般公開しています。 さまざまな人に受け継がれてきた歴史を感じる町家で、京都人の粋を感じてみませんか。

紫織庵
しおりあん
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